やあ、元気か?ちっとも変わってないな相変わらずステキだ悔しくなるほどねあの男とは上手くいってんのか?そうか、会ってないのか・・・・ちょっと驚いたけどまた会えて嬉しかったよ友達でいようってあの時言ってくれたねやっぱりそれで良かったと思うよ本当にさようならつ ...

 対位法と「コール&レスポンス」の差は紙一重だ。複数のメロディーが重なったり離れて対話したりする共通の場がある。離れる部分が大きければ「コール&レスポンス」、重なる部分が大きければ「対位法」と呼ばれる。バロック音楽の中で対位法の伝統を守ろうとするフランドル ...

この曲に関しては蔦きうい氏の解説があまりに素晴らしいので http僕はそれを要約し僕に分かりやすい表現にアレンジするくらいしかできない。ハロウィーンのデートは二人の別れで終わった木枯らしの吹く薄ら寒い夕暮れ彼の乗ったバスが去った後輝きを無くした街の人々はどれ ...

地蔵菩薩は他の菩薩と違い頭を丸め僧服を纏った比丘形で表される。それは地蔵が衆生への慈悲の為、敢えて六道を輪廻し苦しむ衆生を救うからだと言う。大乗での菩薩とはそもそもそういう意味であった。だから地蔵菩薩はもっとも菩薩の原型に近いと言える。          ...

🔵 ヤフーブログ時代に書いた日本社会に関する二つの記事をまとめて再掲します。今の日本は長期的に見て文明全体が衰退へと向かっているのは明らかだ。日本の長期低迷化の原因には幾つもの要素が絡まり合っている。その凋落の構造について書こうと思う。思索の時間が足りなか ...

斜め96°さんに教えてもらったサザンソウルの魅力・・・・それは「ディープソウル」とも呼ばれ、フィラデルフィアはもちろんモータウンと比べてもブルースやゴスペルなどの原点の色が濃いと言われる。残念ながら斜め96°氏は消えてしまい、ブログだけが形見のように残された ...

資本論における物象化論が経済学哲学草稿の疎外論の継承である事はレーヴィットの言う通りだと考える。マルクスの言う「商品の物神的性格」とは商品交換の背後に人間の社会的関係が隠されている事に由来する。それはどの様な社会的関係なのか? ここでマルクスの考察は商品 ...

「気功そのものである」とまで言われる楊式太極拳で、何故初めから動作と呼吸の呼応を教えないのか不思議だったのだが、ようやくそれをハッキリ教えてくれる動画を見つけたので紹介します。 ...

どうもコロナに感染してから頭が悪くなったような気がする。(笑) まるでゲーテとシュタイナーの霊が逃げて行ったようで読書が一向に進まないし読んでもインスピレーションが降りて来ない。まあ、霊が逃げて行ったのならそれはそれで運命なのだが、もう少し努力してみよう ...

初めて聴いた本田竹広の黒さにシビれたのは以前書いたが( https )本田氏はその後「Native Son」というフュージョンバンドを作りメインストリームのジャズから一時離れた。  もちろん日本で最高のテクニックを持つフュージョンバンドである。正直言うと僕はフュージョン ...

ジェイムズ・コットンはサニーボーイ・ウィリアムスンIIにブルース・ハープを習った。しかしサニーボーイの泥臭いスタイルと違ってジェイムズのハープはロックを意識した白人にもウケるスタイルだ。ブルーノートでもギターとブルースハープではかなり趣きが違う。ギターはチ ...

謹んで新春のお慶びを申し上げます昨年は初めに目標を具体的に立てたにもかかわらず実際はバタバタしている内に終わってしまった。今年の干支は甲辰。それは「成功という芽が成長していき、姿を整えていく」といった縁起の良さを表しているとか。今年こそは僕の本来のライフ ...

武道でも格闘技でも当たり前過ぎて敢えて教えない事が結構多いのではないだろうか?例えばボクシングではパンチを撃つ時に足の指を「噛む」 のだが、これは或るプロボクサーに個人教授されて初めて知った。空手では正拳を突く時に突く拳だけでなく引く側の拳も強く握る事、ま ...

今日は僕を初めてジャズの虜にしてくれた「鍵盤の皇帝」オスカー・ピーターソンの命日だが、アレサ・フランクリンとB.B.キングの追悼記事は書いたのにオスカー・ピーターソンとレイ・チャールズへの追悼記事は書いていなかった。オスカーを知らない人はほとんどいないと思う ...

世間はすっかりクリスマス・モードで浮かれて楽しそうだ。僕の方はまるきり「クルシミマス・モード」なのだがしょうがない、クリスマスソングでも聴くか。(苦笑) 浅川マキはマヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイに憧れていたようだが寺山修司のアングラ世界との合体で ...

前に書いてきたようにジャズピアノを習い始めた頃は「黒くなければジャズじゃない!」と思ってきたが、今は透明なジャズにも感動できるくらい幅が広くなってきている。昔はビル・エヴァンスと言えば「Waltz for Debby」や「いつか王子様が」を弾いたピアニストとしか思ってい ...

最近は中国武術へのこだわりを捨て、空手、長拳、ムエタイをミックスし、気功的・身体力学的な合理性と実戦性を考慮したコンビネーションのパターンを練習している。我流で結構。もう先が長くないのだ。好きにやらせてくれ。 この様に開き直ったのは、コロナに感染した後の ...

神話的直感が衰えているので、今回はウォーミングアップである。「タントラと禅」の二項対立は以前書いた「ディオニュソスとアポロ」の拡大解釈と捉えたものである。つまりこの(https)記事の部分的展開と考えてもらって結構である。もちろんこれは最も広い枠組みとしての「 ...

 昔ある本で読んだマヘリア・ジャクソンへのインタヴューで「ソウルミュージックをどう思うか」と聞かれて彼女はこんな答え方をしていた。「ソウルは黒人がブルースを歌う時に使われる事が多いようね。でも私は黒人にだけソウルがあるとは思わない。フランク・シナトラにも ...

 陽水の「誘惑」は不思議な曲だ。マイナーキーの基本3和音しか使っていないのに何故こんな幻想的な雰囲気を出せるのだろう? テンションの使い方かと思ったがそうじゃないようだ。いまだによく分からない。幻想的なのは音だけじゃない。言葉もそうだ。子供から大人になりか ...

  奴が引き金を弾くのが一瞬早かった弾丸はゆっくり回転しながら真っ直ぐ俺の方へ・・・よけようとする意識はあっただが体は動かない眉間に食い込む鉛の塊血飛沫の上がった瞬間俺の意識は体を離れた 俺は5mほど上から自分の身体を見下ろしていた頭蓋骨が砕け、脳が後方へ ...

言わずと知れた「プロジェクトX 挑戦者たち」のテーマ曲である。この曲の意図はあの頃の日本の活力は何処へ行ったのか?と問う歌だそうだ。だからあの番組のテーマ通りであったわけである。僕の耳にはこの歌は「励まし」ばかりでなく「嘆き」「怒り」がこもっていると聴こえ ...

ヤン・ピーテルスゾーン・スヴェーリンク(1562〜1621) はオランダの作曲家にしてオルガニストである。「北ドイツ・オルガン楽派」の祖という事で名前は勉強した覚えがあるのだが、ブロ友のRainDrop氏の紹介により初めてその音楽の近代性を知った。  このバッハの晩年の「 ...

この曲は救いようが無いほど暗い歌詞である。https「僕の部屋には窓が二つ有るが陽は全く射さない」「枕は石のように硬い」「彼女は行ってしまった」「泣いたっていいさ、死んでもいいさ」しかしレイ・チャールズはこれをわざと軽めでセクシーなゴスペルスタイルで歌っている ...

   「皆んな俺を見捨てて去って行った時、お前だけは見捨てなかった。お前こそがマブダチさ。」説教臭い歌詞だが、レイ・チャールズが言うと妙に真実味が感じられて感動してしまうから不思議だ。  ...

藤城清治の影絵は昔「みんなの歌」の背景で見たような記憶があるが改めてよく見るとアンリ・ルソーの絵にも共通する夢に満ちている。子供から大人になり生活に追われていくにつれて何処かに置き去りにしてしまった美しい夢、近所の子供達と一緒に野山に、海や川に遊びに行け ...

宮沢賢治の詩を一応全部読んでみた。その上でこの「風景とオルゴール」の解釈について説明の仕方を考えたのだが、一つ一つ根拠を説明するには時間が全く足りない。読者は不満を持つかもしれないが、僕の解釈をインスピレーションに任せて書き散らそうと思う。(むむむむ、僕 ...

宮沢賢治の詩や小説が法華経の解釈、表現になっている事は全ての研究者が指摘するところだ。これを機に以前法華経について書いた二つの記事をまとめて再掲する。僕が法華経を何度も読み返し、他の神秘主義の知識と照らし合わせてみた結果、法華経の核心は次の二項に還元され ...

具体的な詩の内容に入る前にその重要な背景に言及しておかねばならない。「風景とオルゴール」が作られたのは1923年 9月16日とされている。これは妹のとし子(本名トシ)の死(1922年 11月27日)から一年も経っていない。彼女の死から賢治がどれほど大きな衝撃を受けたかは賢 ...

 三民族とは白人、黒人、インディオの事だ。この歌は昔のブラジルの黒人とインディオの奴隷の苦しみを歌った歌である。これは今も南米で次々と強烈な反米政権が生まれるのは何故か、その理由を理解する鍵だ。   だれの耳にもとどかなかった ブラジルの歌の痛ましいすす ...

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