大学の経済学では古典派経済学とマルクス経済学は「労働価値説」、限界革命以降の近代経済学は「効用価値説」であると教える。これは経済学の表面だけを見ている誤解である。 アダム・スミス、リカード、マルクス、ワルラス、マーシャル、ケインズ等、経済を社会学的な視 ...

前回の最後に挙げた詩の解釈に足りない点があったので追加したい。  73.  憎しみの樽 憎しみは、青ざめたダナイードたちの樽だ。 取り乱した復讐が赤く強靭な腕で、 甲斐もなく空っぽの闇の中に汲み入れるのは、 大きな手桶にいっぱいの死者たちの血と涙。 悪魔 ...

明らかに分裂を自覚していたボードレールは止揚する方法として二つの方向を考えていたと思われる。一つは母親と娼婦の分裂(根源的分裂)を統合できる女性を探す事、もう一つは神と悪魔、善神と悪神を包含する神学を探す事である。  前に書いたように、ボードレールは ...

「苦悩の神学」によって詩人は神と悪魔の統合へと導かれたのだろうか? その結果は後に見る事にして、さしあたりそれは新たな分裂を生む。    62.「憂鬱と放浪」(悲しみ彷徨う女) 告げよ、アガートよ、お前の心も、時に翔び去るか、 塵俗の巷のどす黒い海から ...

  57.「ある聖母に」・・・・スペイン風の奉納物 君のために築き上げよう、「聖母」よ、わが恋人よ、 わが苦悩の奥底に地下祭壇を。 そしてわが心の中で最も暗黒の片隅に、 世俗の欲望や、嘲弄好きな視線から遠く離れて、 紺碧と金を散りばめた一つの天蓋を掘ろう。 ...

 23.<髪> おお、首筋まで波打つ、羊毛のような髪よ! おお、巻き毛よ! おお、愁いを帯びた香りよ! 恍惚よ! 今宵、薄暗い閨房を この髪の中に眠る想い出によって満たすために、 ハンカチのようにこの髪を宙で揺さぶりたい! やつれたアジアと、燃え盛るアフ ...

   4.「万物照応」自然は荘厳な寺院のようだ列柱は厳かな言葉をおりなし人は柱の間を静かに歩む 象徴の森をゆくが如くに遠くから響き来るこだまのように暗然として深い調和のなかに夜の闇 昼の光のように果てしなく五感のすべてが反響する嬰児の肉のような鮮烈な匂い ...

 1.「祝福」 (一部のみ) 崇高な力が命じるところによって 詩人がこの憂鬱に落ち込んだ世界へと現れたとき、 彼の母は慄き、呪詛の言葉に満ち溢れて、 神に向かってその拳を握り締めた。 「ああ! こんな情けないものを育てるくらいなら、 どうしてわたしはマ ...

<原点としての大衆嫌悪> 「悪の華」に「あほうどり」という有名な詩がある。ボードレールがインド航路の商船に強制的に乗せられた船旅で目にした光景である。   海の男たちは時折 気晴らしのために  巨大な海鳥 アホウドリをつかまえる  航海の怠惰な同伴者  ...

ボードレールは敬虔なクリスチャンではもちろんないが、宗教について強い興味を抱き続け、それについて哲学しようとしている。 >たとえ神が存在しないとしても、宗教はやはり尊厳かつ神聖であるだろう。  神は、君臨するために存在さえ必要とせぬ唯一の存在である。 ...

前回述べたようにボードレールはジャンヌ・デュヴァルと1842年から52年の10年間にわたって同棲し、別れた後もずるずると引きずってよりを戻しては別れるといった事を繰り返した。 小劇場でダンサーをしていた彼女は長身で褐色の肌を持ち、野性的で肉感的なタイプだった ...

ボードレールの生涯をざっと眺めながら、まず分かりやすい散文詩「パリの憂鬱」やエッセイ「火箭・赤裸の心」や手紙を読む事から始めよう。 その上で「悪の華」へ入った方が、あの「倦怠」「頽廃」「破滅志向」などが理解し易いと思われる。フランス語のニュアンスさえ感 ...

「悪の華」を最初にざっと読んだ時、まず強烈な印象を受けたのは 「敵」という詩だった。 人は結局は自分の体験した事、その延長にあるものしか理解できない。そして自分の体験に近い事は一発で分かる時もある。言葉が心に突き刺さるからだ。この「敵」という詩は激し ...

これから象徴主義文学について考えていこうとするのだが、初めに断っておかねばならない事がある。 小説ならともかく、外国語で書かれた詩の芸術性を和訳で理解する事はまず不可能である。それが音楽性が高いと言われるマラルメなどの象徴主義詩人なら尚のことだ。蜻 ...

自由民権運動時代の資料を読む内に、神島二郎の「欲望自然主義」の問題提起をかなり修正する必要があると考え始めている。 「欲望自然主義」の意味をもう一度確認すると、武士的エートスが変質し、欲望のままに生きる精神へと変質して行く事と神島二郎は説明している。 ...

最後に陸羯南の立憲帝政党の分析を検討する。 立憲帝政党は1882年に政府支持政党として作られたもので福地源一郎をその代表とする。 この党は知らない人も多いと思うのでその内容をWikipediaから一部転載する。 >立憲帝政党は天皇主権・欽定憲法の施行・制限選 ...

次に陸羯南の立憲改進党への見方を検証する。 >改進論派は真に泰西のリベラール論派を模擬するものなり、泰西においてリベラール論派と称する者は中等の生活を権利の根源とし個人自由を政治の標準となす。 >自由論派は泰西にいわゆるデモクラシック論派に近し、デモ ...

陸羯南の自由論を検証しよう。 彼はまず西洋と東洋の考え方が如何に根本から違うかを説明する。 >おおよそ東洋諸国の風習たるや主として服従忍辱を尚ぶ、その社会の構成は上下層々互いにその上を敬しその下を制しいわゆる上制下服に基づく、ゆえに父は父たら ...

丸山真男は1947年に書いた「陸羯南──人と思想」で羯南を大変高く評価している。 「彼は後進民族の近代化運動が外国勢力に対する国民的独立と内における国民的自由の確立という二重の課題を負うことによって、デモクラシーとナショナリズムの結合を必然ならしめる ...

陸羯南は三宅雪嶺と共に明治中期の開明的な国粋主義を代表する思想家であり三宅雪嶺の起こした「政教社」と陸羯南の「日本新聞」は両輪となって明治の剛毅の時代を疾駆した。 僕の以前の分類では徳富蘇峰らの前向きのブルジョア的ナショナリズムに対し、陸羯南、三宅雪嶺 ...

三宅雪嶺は明治20年頃を境に「外柔内硬」から「対外硬」へと政府自身が大きく転換しそれは伊藤博文が外柔内硬の非に気付いたからであると見ている。その通りならば政教社の活動は功を奏したと言える。 不平等条約の改正の為、欧米の風俗を日本に広める事、それは背 ...

三宅雪嶺は明治時代の思想史について興味深い事を述べている。 征韓論は攘夷論の変形であり民選議院論は尊皇論の変形だと言うのである。 覇道と王道をはっきり峻別した孟子の民本主義が欧米の民主主義と重ねて見られた事は或る意味で自然な事だと思う。僕が前に書 ...

三宅雪嶺は最後に日本の伝統的な美術・工芸の目指すべき方向について述べている。 寺院や城郭などの建築、鎧兜や刀剣などの工芸、仏像、絵画、詩文など芸術的価値がヨーロッパに劣らない事を強調した後、我が国の文化の特色は何か?と問うて、それは「軽妙」にあ ...

次に彼が強調するのは「富国強兵の薦め」である。 彼は個人においても国家においてもほぼ対等な力関係を前提として初めて信義が成立する事を主張する。 また「工業や海運を盛んにせよ」との論に対し、それも大切だが、そのためにはまず第1次産業を育てる必 ...

彼はまず日本人を中国系ではなく蒙古人種(モンゴル系)とし、モンゴル系がアリアン系に決して人種的に劣らない事を強調する。 (彼の言う蒙古人種とは「満州韃靼」とも言っている様に女真から鮮卑、匈奴、烏丸など東アジアの騎馬民族全てを含む意味で使っている。 ...

三宅雪嶺が「真善美日本人」「偽醜悪日本人」を書いたのは1891年(明治24年)32歳の時である。 政府が不平等条約改正の為、欧米諸国の印象を良くしようと鹿鳴館で毎日ダンスパーティーを開いていた様な「欧米に媚びを売る政策」に怒った彼は1888年(明治21年)志賀重昂、 ...

僕が法華経を何度も読み返し、他の神秘主義の知識と照らし合わせてみた結果、法華経の核心は次の2項に還元されると確信した。(1)あらゆる活動が(営利活動でさえも)それをとことん突き詰める事で仏道の修行になる。何故ならあらゆる諸法は一つに帰一するからである。  ...

ウブな娘だと思ってナイトクラブへ連れて行ったらバンドの全員が娘を知っていた。「おいおいおい、お前けっこう遊んでんじゃないか!」こう歌うレイ・チャールズの自虐的な苦笑いは間違い無く演技ではなく地である。レイのブルース・オルガンがグルーヴィーで最高だ。 ...

奈緒子が大輝の出るラグビーの最終試合を見に行こうと思いたったのは、「君は結局俺という人間を何も理解してなかったじゃないか! 」という彼の最後の言葉が心の中で1ヶ月も反響し続けていたからである。「最終試合にベストコンディションで臨むため当分君と会うのはやめ ...

 この曲はもともと1951年 ヘンリー・グローヴァーの作曲、ルーラ・リードが歌った曲だそうだが、アレサのヴァージョンの方がずっと良い。原曲を聴くとわりと古いブルースによくある、憂歌団の「いやんなった」のパターンなのだが、アレサ・ヴァージョンはまるで違った曲に ...

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