僕のブロ友で動物の骨は地球の固体部分に当たるのではないか?という問題提起をしている記事がある。

生物学では器官を動物性器官と植物性器官に分類する。
神経系、筋肉系など運動、感覚に関わる器官が動物性器官であり、循環系、呼吸系、消化系、生殖系など植物にもある機能に関わる器官が植物性器官である。

しかし彼は鉱物性器官もあるのではないかと言う。それは骨だ。
骨は鉱物性の物質で構成され生体の中心に位置する。それは地球の固体部分に相当するのではないかと言うのである。
(外部コアは液体ではないかという屁理屈に対しては、いや骨の中にも骨髄液という液体があるぞ! という屁理屈で返す事もできる。笑)
同様に植物性器官は海洋を、動物性器官は大気と対応していると彼は考える。

子宮に抱かれた生命の胎児は母親という大地から養分を得て成長する植物に似ている。またシュタイナーによれば、植物は動物と共にエーテル体を持ち「夢のない眠りの意識」に生きているとされる。
さらに生物の海からの上陸は、母親の体や家庭からの自立と相似象をなしている


最後に生体の表層近くに位置している動物性器官の筋肉などは、「自由な運動」に関わる点で気体的だ。そしてシュタイナーでは動物だけがアストラル体を持ち、粘着力のあるエーテル体に対しアストラル体は夢の間に自由に肉体から脱出する気体的性格を持つ。

つまりこういう重層的な相似象がある。
惑星の岩石・・・物質・・・・鉱物性・・・・骨
海洋・・・エーテル・・・植物性・・・循環、呼吸、消化、生殖
大気・・・アストラル・・動物性・・・神経、筋肉

しかしここで難問が立ちはだかる事になる。

宇宙の進化はプラズマ、原子、分子、気体、液体、固体という順序でできてきた。もちろん超新星爆発で再びガスに戻ったり、ガスが圧縮されて熱によりプラズマになったりするが、全体の大きな流れとしては次第に冷えていく方向にある。

地球型惑星に限っても気体 ➡ 液体 ➡ 固体の順でできてきた。それに対し霊性の進化は物質体 ➡ エーテル体 ➡ アストラル体の順で逆向きになっている。これをどう考えたら良いだろうか?

これは突き詰めると大変重大な問題を孕んでいる。
伝統的なヨーロッパの神秘主義では「世界の成り行きと霊性の発達は逆向きで良い」と考えてきた。これに対しシュタイナーはヘッケルの反復説の影響のため、また「心身並行論」的立場のため、同方向でないと困るのである。


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プロティノスの流出論はヨーロッパの伝統的神秘主義の原型をなして来た。彼によれば、「完全なる一者」(=神)から高次の世界、より混濁した低次の世界と段階を経て世界は流出する。

彼の説はプラトンを中心としてアリストテレスやグノーシス宗教などの要素も取り入れたもので後世の人は「新プラトン主義」と呼んだ。

プロティノスの「一者」は世界創造の否定、人格性の否定という点でキリスト教の神とは異なる。

原初の「一者」は時空を超越し、形も大きさも無く、運動も静止もしない。一者は神とも呼ばれるが人格は持たない。

一者は世界を創造したのではない。創造とは結局は「作用」であり、作用は生成変化する現象界でしか起こり得ないからだ。

では多様な世界はどの様に一者から生じたのか? 流出したのである。
一者は完全で無限であり、何者にも限定されず妨害されないからこそ尽きる事なく溢れ続ける。

しかし新プラトン主義はキリスト教へも次の様な点で継承され、ヨーロッパ神秘主義の原型となった。

一者としての神から多の自然物が生まれる。
神は善でもある。
流出は太陽の光の様に太陽から離れるほど明るさが失われる。
魂は神の性質を分有する。

流出は理性(ヌース)、魂(プシュケー)、質量(ヒュレー)の3段階を辿る。

プロティノスはこの流出過程を逆に辿れば純粋で精神的な世界へと帰還できると考えた。
プロティノスにとって霊性の発達、浄化は「神への帰還」であり、世界の成り行きを逆転させる事なのだ。


神から物質への下降は世界の時間的経過と同時に論理的順序をも表すのであり「アプリオリな道」である。これに対し人間の霊性の目覚めは物質欲から出発し上昇、最後に神へ至る「アポステリオリな道」である。

この下降と上昇はトマス・アクィナスでは「啓示神学と自然神学」、ヘーゲルでは「論理学と精神現象学」となる。

霊性進化と世界の成り行きは逆向きに進行するのがむしろ当然と考えられてきたのだ。ところがシュタイナーではそうは行かなくなった。