西のグノーシス主義の代表がバレンティノス派のプトレマイオスだとすれば、東のグノーシス主義の代表はマニ教と言える。


キリスト教神学の基礎を作ったアウグスティヌスは最低9年間マニ教の教師だった。ローマ建築の中庭を意味する「アトリウム」ではキリスト教徒とマニ教徒の論争が盛んに行われていたそうだ。マニ教のグノーシス主義はアウグスティヌス神学を通してキリスト教へ流れ込んだ。

カトリック神学に濃い陰影を与え、中世神秘主義やゴシック大聖堂の闇、バロック・テネブリズムの闇、ロマン主義の闇の部分の核となってきたのはヴァレンティノス派以上にマニ教の影響である。


マニ教は発生地のササン朝ペルシャではゾロアスター教の圧力で滅びたが、ウィグルではほぼ国教となり8世紀から10世紀頃まで大いに栄えた。唐王朝を滅亡寸前まで追い込んだ安史の乱がウィグルの支援により辛うじて鎮圧されたのは有名な話である。

ウィグルで国教になったお陰でマニ教に関する多くの資料が残された。

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                                  トゥルファンのマニ教寺院跡


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                                         ソグド語で書かれたマニ教典



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                       マーニーの殉教を偲ぶベーマ祭の様子


また中国へ伝わったマニ教は弥勒教と習合し、南北朝から隋時代に頻発した弥勒教徒の反乱にマニ教の影響があるといわれ、その流れは宋時代に江南で反乱を起こした「喫菜事魔」を経て元朝を倒した「白蓮教」まで続いている。



山川出版社の「世界史リブレット」シリーズNo.4の「マニ教とゾロアスター教」(山本由美子 著)ではマニ教神話を二つの創造神話と一つの救済神話の三幕の悲劇として描いている。

これを基礎資料とし、さらに僕が何度も参考にし引用しているmorfo氏の素晴らしいブログ
をも参考にして、次回はマニ教神話をまとめてみよう。

morfo氏はマニ教はグノーシス主義に含まれないとしているが、それはグノーシス主義の定義によるのであり、普通はWikipediaにもある様にグノーシス主義の西の代表としてヴァレンティノス派、東の代表としてマニ教をあげるのが研究者の多数派である。

僕はグノーシス主義の反宇宙論はヴァレンティノス派よりもむしろマニ教において最も明瞭に表現されていると思う。



マニ教はゾロアスター教から善悪二元論を継承するが、そこにギリシャ的な霊肉二元論が重なっている点がゾロアスター教と異なり、この肉体への嫌悪が物質への嫌悪~反宇宙論のペシミズムへと繋がっていく。

実は東條真人氏が指摘する様に、ゾロアスター教以前にズルワン教、マズダ教、ミトラ教、アナーヒター崇拝などの流れがあり、ゾロアスター教はマズダ教、ミトラ教、アナーヒター崇拝などの神話を総合し、善悪二元論に整理したものである。

そこにはズルワン教の循環する時間観念に対するゾロアスター教の直線的時間観念の対比、カルデアの7光線占星術を取り入れたズルワン教に対し占星術を否定し呪術的要素を排除したゾロアスター教、など面白い問題があるのだが、ここではマニ教の性格がテーマなので、比較的オプティミスティックなゾロアスター教に対しペシミスティックな反宇宙論のマニ教という側面にのみ焦点を当てる事にする。








<第1創造神話>

原初の時、光であり善であり霊的な光明の父(ズルワーン)の世界と、闇であり悪であり物質である闇の王子(アフリマン)の世界があった。

光の王国は光の五元素(光、風、火、水、エーテル)、闇の王国は闇の五元素(闇、風、火、水、煙)でできていた。
また光明の父は理性、心、知識、思考、理解の五つの精神的働き(シェキナー)を特質とし、その五つは大気の様に光明の父を取り巻いていた。これに対応する様に闇の王子は五つのアルコーンに取り巻かれていた。

ここで光の王国も闇の王国も五つの物的元素と五つの精神的働きを合わせ持つ事になっているのは「霊的な光の王国と物質的な闇の王国」という霊肉二元論と矛盾し、霊界でも物質界でも善悪の闘いが繰り広げられるゾロアスター教の神話を引きずっていると考えられる。


ある時、闇の王子が光の世界を知り、光の王国を手に入れたいと思った。闇の王子が戦争を仕掛けて来る事を予測した光明の父は先ず生命の母を呼び出し、生命の母が原人オフルミズド(=アフラマズダ)を呼び出した。オフルミズドは光の五元素を鎧として戦ったが破れ、闇の世界に飲み込まれた。
或いは別の資料ではオフルミズドは毒を盛るように自分達を食べ物として闇の王子とそのアルコーン達に与えたとも言われる。

オフルミズドたちは何故自分をアフリマンに食べさせたのだろうか?
最も単純な解釈は上にある様に、悪魔にとっては光が毒になるので自爆テロ的な作戦だったというものである。

しかしシュタイナーはこれと全く違う解釈をしている。彼によれば悪魔にとっては光が毒になるのは同じなのだが、それが「悪魔のマイナスのカルマを清算する」ためだと言う。

つまりマニ教では「善は悪を追放し罰するのではなく、寛大さによって悪を克服すべきである」という洞察がなされたとシュタイナーは考える。そしてこれはシュタイナーの「火は供犠であり水は神の断念である」という秘教と関わってくるのだがそれはまたの機会にしよう。
 

いずれにせよ光は闇に飲み込まれ、世界に光と闇が混在する事となった。



<第2創造神話>

光と闇の闘いの第2ラウンドは光明の父が光の友、偉大な建設者(バームヤズド)、生ける霊(ミフルヤズド)
を呼び出す所から始まる。
(マニ教は性をタブー視する所からその結果としての出産もタブーとなり、産む代わりに「呼び出す」という表現となる。)

生ける霊(ミフルヤズド)のミフルはミトラの中世ペルシャ語で、オフルミズドがアフリマンに飲み込まれた事により、その敵討ちに任ぜられる。

ゾロアスター教では第1、第2の三千年期において悪魔の軍団は神の軍団に負け続け、マニ教とは逆に悪魔が意識を失って深淵に沈む。そこで第3の三千年期では作戦を変え、原人、聖牛を初めとする神の被造物、現世界を狙うのである。こうして世界に善悪が混淆する。

この構図は、神と直接争っても勝てない悪魔が人間の心を狙うというキリスト教のサタンの行動と同じパターンであり正統派キリスト教の匂いがする。グノーシス主義の要素は全く感じられない。


これに対しマニ教では神の側、オフルミズド(アフラ・マズダー)が負け、ミフルヤズド(ミトラ)が挽回戦を行うのである。

ミトラは新たに5人の息子を作り、闇の世界へ降りて右手を伸ばし底に横たわるオフルミズドを引き上げる事に成功した。しかし細かく砕け散った無数の光の欠片は闇の世界に残ったままである。


ここで東條真人氏の興味深い指摘がある。マズダ教とミトラ教の共通教典である「浄命宝蔵経」は次の様なストーリーになっている。

大いなるマナ(アフラ・マズダー)は自分が邪心ウル(アーリマン)の攻撃で死に、無数の小さなマナとなって闇に散らばる事を予見した。そこで大いなるマナはヒビル・ジヴァ(ミトラ)に対し、自分に代わって世界の支配者になり、闇の中にとらわれている小マナたちを救出してくれるよう頼んだ。

「オフルミズドの死と無数の光への分解」「ミトラによる救出」というモチーフはマズダ教に既に有ったのである。ゾロアスター教では最高神アフラ・マズダーが死んではまずいので原人ガヨーマルタンがその役に取って代わった。



「偉大な建設者」はズルワン主義では「宇宙の創造神」すなわちプラトンのデミウルゴスに当たる。
しかしプラトンの「イデア界を模倣して現象界を作る」のとは違ってズルワーンの住む「光の王国」に準ずる「第二の光の王国」を作り、そこへ救出したオフルミズドやその欠片を住まわせるためのものである。

では無数の光の欠片はどうやって救出するのだろうか? 
ここでミトラは悪魔の軍団と大戦争を起こし、倒れた悪魔の死体から現世界を作る。山本由美子氏の書から引用する。

悪魔から剥ぎ取られた皮から十天が作られ、骨が山となり、身体や排泄物は大地となった。そのほかの闇の「アルコーン」たちは鎖で空につなぎとめられた。救い出された光の元素のうちまだ汚されていないものから太陽と月が作られ、少し汚されたものから星が作られた。この時まだ約三分の一の光の元素が救われきれないで残ったという。

現象界、この宇宙は悪魔の死体から作られたというのである。これは神義論的に言えばヨブの苦難の根拠を「世界の悪魔性」に求める事を意味し、ヴェーバーの言う「幸福の神義論」も「苦難の神義論」も破壊する強烈な反宇宙論である。

マーニーは何故ゾロアスター教の「神が世界を創造した」という説を敢えて否定し「悪魔の死体から世界が作られた」などという気味が悪い説を主張したのだろうか?

その一つは現世に悪が蔓延る事を観察し、それが神のアイデアとは考え難かったからだろうと想像できる。それは現在でも多くの無神論者が主張する事だ。

しかしさらに考えると善悪二元論と霊肉二元論を重ねた事自体に反宇宙論の基礎が有るという事が分かる。物質的なものが悪魔の側であるならば、この物質的宇宙全体が悪魔的様相を帯びていると考えざるを得ないからだ。

このマニ教の反宇宙論がヨーロッパではカタリ派やボゴミール派の反乱のエネルギーとなり、東洋では弥勒信仰を鎮護国家の仏教から真逆の造反仏教へと変質させたのである。



実は第1、第2創造神話はマニ教の中では序章に過ぎない。
ここから残りの光の元素を救出する救済神話が語られ、それがマニ教の核心なのである。


ミトラは闇の底に沈んだオフルミズド(=アフラ・マズダ)をすくい上げる事に成功するが、光の元素の1/3は無数の破片となり闇の世界に飲み込まれ、アルコーン(悪魔)の体内に入ってしまっている。

これをどうやって光の世界に取り戻すか? そのために複数の神話が語られている。これを3つのモチーフに整理してみたい。

以下、青字はゾロアスター教神話、赤字はマニ教神話、アンダーラインの青字は重要な点、用語である。


<救済神話 ①>

ミトラとその陪神たちは悪魔との大戦争をして悪魔の死体から物質的宇宙を作り、光の欠片を集めて上方へ運ぶために宇宙を回転させた。
救い出された光の元素の内、まだ汚されていないものから太陽と月が、少し汚されたものからは星が作られた。

まず、月が光を1ヶ月集めて太陽に運び、太陽が恒星天に運ぶ。
恒星天も回転して光の世界に運ぶ。

回転する太陽、月、星は光の元素の分離・救出装置である。
しかしこれで回収されるのは悪魔の死体に含まれる光の欠片であり、生きた悪魔に飲み込まれた部分はまだ手つかずである。



<救済神話 ②>

次に光明の父は飲み込まれた光を解放するために第3の使者を呼び出す。第3の使者は「光のイエス」とも言われる。

第3の使者は変幻自在だ。男の悪魔に対しては光の乙女となって現れ、女の悪魔に対しては輝く青年の姿で現れて誘惑した。


男の悪魔は欲情して光の欠片を精子と共に放出した。その一部は海の怪物になったが、ミトラの陪臣の一人であるアダマスが退治、残りは雨となって地に吸収され植物となった。

女の悪魔は地獄で孕んだが流産して胎児を生み、これが5種の動物になり、動物は植物を食べた。

(この救済は何故ミトラが直接行うのではなく第3の使者を呼び出したのかを考えると、これはユダヤ教、キリスト教やギリシャ神話に接続するためだと考えられる。)




この二つの「光の分離・回収」のモチーフはゾロアスター教における「聖牛と原人の浄化」のモチーフに対応している。ゾロアスター教の対応する部分を東條真人氏の叙述から引用しよう。


惑星たちは悪魔たちとともに天球層に攻撃をしかけた。彼らは星座を混乱させた。あたかも火があらゆる場所を歪ませ煙がたち昇るように、全被造物が歪んだ。アフラ=マズダーの被造物は戦いに敗れたかのように見えた。
 
・・・・中略・・・・・・

植物の守護女神アムルタートと雨神ティシュトリヤは、ハオマと雨を世界にふりそそぎ、より多くの植物が育つように大地を豊かにした。聖牛の四肢からは、五十五種類の穀物と十二種類の薬草が生まれた。牛の脊髄からあらゆる植物が分かれ出た。

聖牛は月にひきあげられて、そこで徹底的に清められた。聖牛の種子は再び大地に降りると、282体の男女の原種になった。

鳥は空にあふれ、魚は水にあふれた。千年の間、動物たちは何も飲み食いしなかった。その後まず水を飲むようになり、次に植物を食べるようになった。その後三つに分類される動物が作り出された。最初は山羊と羊、次にラクダと豚、それから馬とロバである。

人間の種子は太陽に引き上げられ、そこで徹底的に清められた。原人の種子は大地に降りて、一本の人間樹として生え出た。四〇年間は茎が一本しかない植物のかたちで、十五年間は十五枚の葉をつけたかたちで、マトローとマトローヤオは腕を互いの肩の後ろにまわしたかっこうで地中から生えていた。やがて、両者は、植物の形から人間の形へと変化した。


両者を較べると、どちらも太陽と月が悪魔によって穢された宇宙を浄化、修復する役割である点は共通している。しかしその宇宙観の違いは明らかだ。ゾロアスター教では性的なものを神聖な再生の儀式として描いているのに対し、マニ教では性を徹底して悪魔的な、醜悪なものとして描く。

ゾロアスター教では動植物は浄化された聖牛の精子が雨となって降る事で発生するが、マニ教では雨となって降るのは悪魔の精子だ。

このオプティミズムとペシミズムの両極的性格は人間の誕生神話にも現れている。



<救済神話 ③>

先ずゾロアスター教の人間誕生神話を東條氏の資料から引用する。

アフラ=マズダーは二人にこういった。
「おまえたちは人間である。おまえたちは世界の先祖である。おまえたちは女神アールマティーの内に、わたしによって完全に作られた。法の命じる義務を献身的に果せ、善行をなせ、いかなる悪魔も崇拝するな!」
 
二人は最初こう考えた、「一方が他方を喜ばせよう」彼らが最初に行った事は自分たちを徹底的に清めることだった。彼らが最初のしゃべったことは、アフラ=マズダーが水、大地、植物、動物、星々、月、太陽、そして天則のはたらきがその源である繁栄のすべてを創造したという事だった。
 
ところがその後、彼らの精神の中に対立する考えが殺到し、彼らの精神は腐敗し、彼らは、邪悪なる霊が水、大地、植物、動物、そしてその他の全てのものを創造したと叫んだ。この虚偽はアンラ・マンユの意志によるものだった。アンラ・マンユは、彼らから最初の喜びを得た。虚偽を語った事によって二人は邪道に落ちた。人類は指針を失い、暴力と悪意がはびこるようになった。


ゾロアスター教の人間は太陽によって浄化された種子から神によって作られ後に悪魔的な観念が忍び込む。これに対しマニ教では人間はミトラや第3の使者の攻勢に対抗し悪魔が反撃する作戦として作られる。

マニ教の人間誕生神話は再び山本由美子氏の書から引用しよう。

闇の側では、せっかく虜にした光の元素を取り戻されないように「物質」が「肉欲」の姿をとって、全ての男の悪魔を呑み込んで一つの大悪魔を作り、同様に女の悪魔たちも一つの大女魔となった。

その両者によって、あこがれの的である「第三の使者」に似せてアダムとイヴが作られた。その形を作った物質には光の元素が呑み込まれている。したがってアダムは闇の創造物でありながら、大量の光の要素を持っていることになる。

悪魔たちに守られて眠っているアダムは自分が光の要素を持っていることを知らない。このアダムに自らの光の本質の存在を知らせるために、「第三の使者」の化身である「イエス」が送られ、アダムにグノーシスを与えて覚醒させる。


太陽、月、星の回転がミトラの側による光の分離・回収の仕組みであるのに対し、人間は悪魔が光を悪魔的宇宙にとどめて離さないための仕組みである。人間は肉欲に従って子供を生み続けることで、光の欠片はこの悪魔の宇宙に囚われ続けるのである。






この後、マニ教神話はユダヤ教、キリスト教の聖書の内容を取り込んでまだ続くのだがもういいだろう。現世の営みや人間の自然な欲に対して寛容で楽天的なゾロアスター教に対し、現世拒否、反宇宙論、禁欲主義のマニ教の性格が明らかになったと思う。

ゾロアスター教やマニ教の思想史的位置、シュタイナーによる両者への高い評価、ローマ帝国の一時期に何故マニ教がキリスト教を圧倒したか、何故それが表向きは完全に滅びたか、また弥勒下生信仰の中に生き続けるマニ教の幽霊、などの興味深いテーマは時間がかかる事になるのでまたの機会とする。