今回は北村透谷の2つの評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」と「明治文学管見」から彼の文学、芸術観を概観してみる。



「人生に相渉るとは何の謂ぞ」は 民友社の論客、山路愛山の「頼襄を論ず」への反論として書かれたものだ。
 明治26年、「厭世詩家と女性」を書いた翌年である。


世は日清戦争の始まる直前、透谷はクェーカー教徒の団体と共に平和主義を唱えていた。

山路愛山の「頼襄論」は江戸時代後期、文化文政年間に活躍した歴史家、頼山陽を称賛し、朱子学的な空理空論を批判し実社会の利益に適う文学哲学を主張したものである。

ここで注意しなければならないの は、山路愛山もメソジスト派のクリスチャンだった事である。

彼は徳富蘇峰の民友社に参加し、 鹿鳴館風の行き過ぎた貴族的欧化政策に対しては平民主義を、三宅雪嶺ら政教社の国粋保存主義に対しては自由民権運動穏健派に近い立場を取っていた。

現代から見ると民友社の主張は穏当で多くは肯けるものである。



しかしその後、日露戦争の勃発のあたりから次第に徳富蘇峰と山路愛山は国権論に変化していく。愛山と透谷の真っ二つに分かれた道は当時の日本のキリスト教の在り方を象徴していた。


愛山は「頼襄論」でこう主張する。
 
「文章即ち事業なり。文士筆を揮ふる 猶 英雄剣を揮ふが如し。
 共に空を撃つが為めに非ず為す所あるが為也。
 万の弾丸、千の剣芒、若し世を益せずんば空の空なるのみ。

華麗の辞、美妙の文、幾百巻を遺して天地間に止るも、人生に相渉わたらずんば是も亦空の空なるのみ。文章は事業なるが故に崇むべし」


愛山は政治と文学を分離しない。 透谷はこれに噛み付いた。

建築と違って文学は人間の霊魂を建築するものであり、直ちに有形の結果が表れるものではない。戦士と文人の闘い方は自ずから異なるものである。

文学は事業を目的とするものではない。それはむしろ愛山の言う「空の空」を目指している。

「行きて頼朝の墓を鎌倉山に開きて見よ、・・・中略・・・来たりて西行の姿を山家集の上に見よ。 いづれか能く言ひ、いづれか能く言はざる。」

芸術を功利の観点からのみ論ずるのは吉野山の桜を「実を売れば利益になる」という理由で梅や林檎の木に変えよと主張するのと同じくらい馬鹿げている。

「願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ、と歌いたる詩人
(西行の事)が、活用論者(=功利主義者)の知ること能わざる大活機を看破したるは、即ち爰にあるなり。」


ここで透谷は文学の価値を政治に従属させる功利主義に反対し、文学の霊的価値を説いているのであり、通常言われている様に「芸術至上主義」を説いた訳ではない。

それはわずか2ヶ月後に書いた「 明治文学管見」の中の次の一文を読めばわかる。
「文学が人生に相渉るものなる事は余も是を信ずるなり」

これが「人生は一行のボードレールにも如かない」という芥川龍之介の芸術至上主義と正反対の主張である事は一目瞭然である。

透谷の上の文は次のように続く。
「但し余が難じたるは(1)世を益するの目的を以て(2)英雄の剣を揮ふが如くに(3)空の空を突かんとせずして或る的を見て(4)華文妙辞を退けて、而して人生に相渉らざるべからずと論断したるを難じたるなり。」


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「明治文学管見」は透谷の評論の中でも最も難解で論旨の錯綜した物である。


透谷は「快楽」(pleasure)と「 実用」(utility)の関係、及びその二つの
「美」に於ける役割について論じている。

透谷によれば、美(芸術)はさしあたり快楽と実用を目的とする。

「人生を慰むるといふ事より、Pleasure なるものが、詩の美に於て、欠くべからざる要素なる事を知るを得べし。
 人生を保つといふ事よりUtility なるものが、詩の理に於て、欠くべからざる要素なる事を知るべし。 」


実用性が美の要素というのは意外な気もするが、透谷の言う「実用」とは文学の人生哲学としての側面を指しているらしい。これが「人生に相渉る」と同じ意味である事は前後の文脈から解る 。


文学の実用は透谷にとっては「世を益するため」ではなく、人間の内的生命の進歩のためである。


透谷は美意識が未開人にも幼児にも有る事を挙げ、美が人間の自然な本能である事を主張する。

「文明といふ怪物が、人間を遊惰放逸に駆りたるよりして、始めて美の要を生じたりと見るの僻見なることは多言せずして明らかなるべし。
美は実に人生の本能に於て、本性に於て、自然に願欲するものなることは認め得べきことなり。」



そして快楽もまた進歩につれて高い次元のものへ変化していくものである。

「然れどもマインド(智、情、意 )の発達するに従ひて、この簡単なる快楽にては満足すること能はざるが故に、更に道義(モーラル )の生命(ライフ)に於て、快楽を願欲するに至るなり。」

透谷の理念は世間一般で評価される様な芸術至上主義、恋愛至上主義ではなく、むしろ「欲望の進化による道徳との一致」なのだ。


「社界進歩の大法を以て之を論ずる時は、尤も完全なる道義の生命を有する国民が尤も進歩したる有様にある事は、明白なる事実なれば、
従つて又た、尤も円満なる快楽を有し、尤も完全なる美を願欲する人種が尤も進歩したる国家を成すことは、容易に見得べき事なり。」

この様に快楽の次元の進化を説くのは性的のみの観点から恋愛を見る事を非難する「厭世詩家と女性 」の論理の延長である。




次に透谷は快楽とは本源的には苦痛の癒やし(consolation)であると言う。

 「罪、悪、過失等の形を呈せざる 内部の人生に於て、欲と正義と相戦ひつゝある事は、苟くも人生を観察するに欠くべからざる要点な り。

この戦争が人生の霊魂に与ふる傷 痍は、即ち吾人が道義の生命に於て感ずる苦痛なり。

この血痕、この紅涙こそは、古昔より人間の特性を染むるものならずんばあらず。

かるが故に、必要上より「慰藉 」といふもの生じ来りて、美しきものを以て欲を柔らかにし、其毒刃を鈍くするの止むなきを致すなり。」


これはプラトンの芸術論をふまえていると思われるが同時に政治的挫折と恋愛の中で芸術論を研ぎ澄まして行った透谷の実体験を論理化したものでもある。



透谷の不思議な所は政治的挫折、 ミナ夫人との恋愛とその一時的挫折の中で心的苦痛に喘ぎ、結婚後もその苦痛が何らかの理由で持続し、苦痛が激しくなるほどその芸術論、人生論が研ぎ澄まされていく事である。