宇宙的な溶解状態から固体が分離される過程は宇宙の進化にとって大きな意味を持っている。

宇宙的過程では溶解状態は克服され、その生命を奪って固体を沈殿させた。この地球形成での結晶化・沈澱はその後地層の堆積において繰り返される。(溶解と再結晶が原初の熱的混沌からの冷却・固化の再現であり、これは動物の貝殻形成、骨や歯の形成において霊的に繰り返される)


結晶は無機物の象徴であり(通常の思考では)人間で頂点に到る動物的生とは対極にある印象を受ける。
しかしシュタイナーは塩の結晶と動物の精神的高度化の間に霊的関係があると考える。
(この点はノヴァーリスの影響が感じられ、鉱物結晶にプラトンのイデアとの相似象を直感する僕も大いに共感できる点である。)


シュタイナーは、食塩は菌類の成長を抑える反生命性を持つが、適当な時に適度な量を使えばこの反生命性によって意識が明瞭になると主張する。
(僕が風土論で書いた、あまり過酷でない程度の乾燥気候が幾何学を発達させる事もこの一例だろう。)


シュタイナーは珪酸の石英も精神を高める作用があり、珪酸は特に眼の水晶体と頭部の形成に大きな霊的役割を果たすと言う。
(この点も全く同感だ。「視覚」こそ精神をアメーバ的皮膚感覚から一気に飛躍させ現象学的所与を生み出す「何か」である。)



生命の過程が宇宙的過程の霊的反復であるなら、当然生命は宇宙から、即ち太陽や月や惑星からの力の影響を受けると考えねばならない。

従ってシュタイナーの考察は星からの影響を受けた生命形成力とその変容が中心となる。




<燃焼と塩化   内部化と外部化>

生命力は消費し燃焼する方向と、それを物質的な物に外化し、硬化する方向の2方向に向かうと言う。もちろん結晶化(=塩化)は硬化の延長上にある。

燃焼は生物では生命力を器官の内部に保持し所有する事であり、それは星や地球の外的諸力を内部化する事である。(これは呼吸が燃焼と同じ酸化である事を考えれば納得し易い論理と言える。)

塩化、結晶化は逆に生命力を物質として外化する事である。内部化と外部化、これがシュタイナーの生命論の大きなテーマとなっている。

(現代化学から見れば、燃焼は酸化還元反応系であり結晶は多くの場合は酸塩基反応系だから一緒にできないと批判するだろうが、もちろん生命現象では化学的解釈が本質を突いているとは限らない。)

しかしシュタイナーによれば無機的自然と植物と動物ではその2方向が全く同じ様に働くわけではない。特に植物と動物の間には反転があり、それは上下の位置が反転する事にも現れている。

先ずはシュタイナーによる「燃焼と塩化」の植物と動物での継承と変容を整理しよう。



<内惑星と外惑星、   珪酸と石灰> 

太陽や惑星からの作用は砂や岩石で反射される。
(この「反射」は物理的な意味ではない。)

植物が土壌中の根において経験するものは岩石を介して伝えられる宇宙的生命性、化学性である。


ここでシュタイナーは太陽系で地球より太陽に近い水星、金星、および月を「内惑星」、地球より外側の火星、木星、土星を「外惑星」と言って区別し、生命への作用も違うと言う。

地表より上には石灰質を介して内惑星の作用が見られ、外惑星は珪素を介して地表下に作用する。

地上の内惑星の力は植物の自己保存能力、生殖力、自己複製能力に影響を与え、特に大雨の後の満月の力は植物に生殖能力を増大させる。(これは水棲動物でも同じであり、水が月の力を地上で発揮させる経路を作り分配する役割をもっている。)

これに対し地下の外惑星の力は食物や肥料として他の生命に栄養を提供する能力と関わる。

外惑星の力は珪酸を通して他への献身のはたらきとなり、内惑星の力は石灰を通して自己保存、生殖などの利己的働きとなる。


これが動物の場合はかなり複雑化する。

シュタイナーが何度も強調する様に人間は植物が逆立ちした形になっている。

植物は根から養分を吸い上げるが人間は口から摂取し腹部へと下がって行く。植物の頂点に咲く花は動物では下腹部の生殖器に当たる。

そして植物ではその境界線が地面だが、動物ではそれに当たるのが横隔膜である。

従って植物の地上の働きが概ね人間の腹部の働きに、植物の地下の根の働きが人間の胸部から頭部に当たると予想されるが、シュタイナーはどう整理しているだろうか?