政治学者にして社会学者、神島二郎は広い意味での「丸山真男学派」と見なされる。

彼は吉本隆明と同様、戦争中は軍国青年であり、戦争末期には大日本帝国と心中する事を夢見た。敗戦時には天皇陛下が当然自刃するものと想像していたらしい。

しかし陛下は生き残り、人間宣言をし、何故戦争に至ったのかは曖昧にされたまま経済復興だけが優先された。
彼はその時、私の「内なる天皇制」が崩壊したと語っている。

神島は「何故日本は天皇制ファシズムになったのか?」を残りの人生を賭けた課題とした。その成果が「近代日本の精神構造」である。

これは丸山真男の「制度の精神構造を読み解く」方法と柳田国男の民俗学の成果を総合しようとした意欲的な書である。

神島はこの中で近代日本の個人主義が「欲望自然主義」として形成されたが故に社会のファシズム化に対する抵抗拠点となりえなかったと考えている。

学生時代には感動を持ってこれを読んだ。しかし今、もう一度批判的に読み直す時であると思っている。好きでもない日本の自然主義文学を検証しているのもそこに「欲望自然主義」が見られるかという問題意識が有るからだ。

これから自然主義文学に戻る前に神島の説と、その「欲望自然主義」の例として挙げられている高山樗牛の「美的生活を論ず」を検討する事にする。

今回はこの書全体の検討が目的ではなく、「欲望自然主義」という概念と日本の自然主義文学における「私小説」の検討が主目的である。
しかし全体の大まかな論理構造が見えなければ僕も結論を出せないし、読者も話しが見えないだろうから全体の要約から始めよう。

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近代天皇制の正当性的根拠は「自然村的秩序」に置かれ、それが資本主義によって崩壊しかかった時にそれを観念的に国家の中に拡大転用しようとしてそれが社会のファシズム化を促したと神島は考える。

上からは「武士的エートス」が下降し、下からは「自然村的秩序感覚」という庶民の常識が形成されて、それが外来文化の急激な輸入による内面的分解をかろうじて防いでいた。

自然村の秩序感覚を神島は五つに整理する。(この五つの概念とその相互間の連関は必ずしも明確ではないが、今はその点は不問に付す。)

(1)神道主義・・・これは国家神道ではなく民間レベルでの神道を指しているが、その特質は「神人合一観」にあり、「神人隔絶教」のユダヤ教、キリスト教、イスラム教と対照的であると見られる。

神人分極の契機(自然災害への対抗の断念と本能的反発)は仏教によって強化された(特に浄土真宗)が、神仏習合によってその傾向を抑えられ、浄土教的な霊肉の分化は「ハレとケ」という聖俗循環のリズムに吸収された。

従って「ハレとケ」の循環を作る「祭り」が大きな役割を果たし、それは稲作と一系型大家族に物質的根拠を持つ。

近代化によってその経済的基礎が崩壊するにつれ、神観念は自然村から解き放たれ家族国家イデオロギーを結晶させる。

(2)長老主義・・・農業、手工業の様に経験が全ての社会では年長者がほぼ有能者と同義である。
この体系の下では待ってさえいればやがて支配者になる事ができるから、若い世代にかえって根強い保守意識が見いだされる。

(3)家族主義・・・有賀喜左衛門のいわゆる「同族団」に由来する原理。
古代的な労働統制のオヤ・コ関係を起源とし、外から入って来て同居する使用人も血縁者と同様に見なす「擬制血縁」を特色とし、従って国家社会へも拡大転用される。
有賀喜左衛門が実証した様に、一系型大家族制と寄生地主制を一体化する原理がこれだった。

(4)身分主義・・・家が祭りに参加する条件に規定された「家格」、それを個人に移した「人格」。
近代日本における人格は少なくとも庶民においては個人の主体的統一というより「差別的、身分的な品位」として把握される。

(5)自給自足主義・・・(これはTVが普及した現代人にはなかなか想像しにくいものだが)特に田舎での住民の視野の拡大が外部との相互観照の下に行われず、「閉じた小宇宙の膨張」となる。
柳田国男が「ワニルとオコル」という言葉で説明した様に、「閉鎖的」と「外部に対して攻撃的」とは相互転化し極端から極端へと振れる。
「八墓村」の世界、あるいは カルト教団を思い浮かべれば近いかも知れない。
近代日本の「拝外」と「排外」との振り子運動もここから説明できる、と神島は考える。



さて、この自然村を「第一のムラ」とすると、それを拡大再生産する機構が神島の言う「第二のムラ」である。
それは農村教育機関である、子供組、娘組、若者組、組から分化発達した塾、藩校から始まり、寄宿舎で共同生活をする学校での自治訓練、学校教育の知育偏重を矯正する兵隊教育など、何段階にも組織され、社会へ出てからも学閥や県人会などで保守、維持される。「第二のムラ」とは意識の面から捉えた近代日本の中間層の様態である。


しかし「第二のムラ」は「第一のムラ」と幾つかの点で違っている。

(1)構成単位が家から個人に移っている。
(2)帰住は許されないが強い愛着を持っている。
(3)農業や家業という生産面が無く、消費的で、労働蔑視と遊民化の傾向を持つ。
(4)距離化された故郷を軸芯とする団結であり、実は現実の世界ではなく回想の世界である。

神島二郎は日本の都会はゲゼルシャフトではなくエートスの崩壊した「群化社会」であると捉える。エートスの崩壊はバブル以後、実感として我々にもあるが、神島はそれが明治時代からすでに始まっていた事、その原理は明治以後の「第二のムラ」にある、つまり農村的エートスが都会に持ち込まれ、西洋の原理との齟齬を生む事、自然村の解体につれ、ますます観念的になっていく事、などに有ると考えている。

またそれに加えて、異文化が接触した時に起こりがちな「励起」現象が有ったと言う。つまり異質の文化が接触する事により、特定の文化要素が強調され極端化される事を神島は「励起」と呼ぶ。明治時代の末から既に言われ始めた「道義の退廃」「風俗の紊乱」「公共精神の欠如」などを単に西洋文化の流入による伝統文化の解体と見るだけではなく、西洋文化の悪い面が日本で更に強調されて現れた、と見ているのである。