次に彼が強調するのは「富国強兵の薦め」である。




彼は個人においても国家においてもほぼ対等な力関係を前提として初めて信義が成立する事を主張する。





また「工業や海運を盛んにせよ」との論に対し、それも大切だが、そのためにはまず第1次産業を育てる必要がある事を強調する。




鉄以外の鉱山の開発、牧畜業の育成、特に西洋種の輸入と和種の品種改良、農業におけるリン酸肥料による生産力の増大など、具体策を挙げているのだが、僕がむしろ重要だと思うのは、彼が帝国主義時代の弱肉強食の国際関係を倫理との緊張関係の中でやむを得ず是認するのではなく、むしろ積極的に肯定し、弱肉強食の原理をも倫理の一環としている様に見える事だ。






「ここに強大なる国家と弱小なる国家との二邦ありと仮想せよ。事に触れ機に触れ、後者は前者のために陵辱せられ、巨大の損害を被るや必せり。」

「理すでにかくのごとしとせば、正義の行なわるるには相互の権力の平等なるを要すと言いしは偶然にあらざるを知るべし。」




社会進化論の立場に立つ限り彼はそれを原理的に肯定せざるを得ない。

それは当時の欧米でもごく普通の考え方だったのだろう。ただしそれは帝国主義の時代の特徴であり、常にそうだった訳ではない。

アウグスティヌスの「神の国」以来、倫理と権力の相克、宗教的権力と世俗的権力の相克が歴史神学・歴史哲学の重要なテーマとなってきた。




東洋でも儒教、特に朱子学、陽明学には「反功利主義」とも言うべき傾向が濃厚にあり、功利、打算を超えた「至誠」を求めてきたのである。




吉田松陰の「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」という言葉は言い換えれば「負けると分かっていてもやらねばならない時がある」という事だ。藤田東湖も平田篤胤も然りである。




しかし、生麦事件から薩摩・長州の英国との戦争の中で戦力の圧倒的な差を思い知らされ、幕末の天狗党の乱から明治期の西南戦争にいたる開国派と攘夷派の争いの過程で明治政府が「尊皇攘夷」の不可能を悟り「開国進取」に転じた時、この「やむにやまれぬ」精神の存立が事実上不可能になり、その代わりに功利、打算の精神が忍び込んだとすれば、それはまさに神島二郎の言う「武士的エートスの暗転」にあたる。




そこには少なくとも「論理のすり替え、誤魔化し」があり、しかもそこに失業した下級武士の怨念が重なっているため、心理的に攻撃的となり、容易に対外膨張への欲求へと繋がる要素を持っているからであり、神島二郎が「暗転の論理的結果は対外膨張である」と指摘するのはこういう意味であると僕は理解する。