大中東アジェンダは論者によってかなり内容が違っていてブッシュ時代とオバマ時代は基本的に変わっていないとする見方も多い。しかし僕の見方は前回示した通り、ソ連に代わる新たな仮想敵としてイスラム主義を過激な反米的方向へ導いたネオコン達に対し、オバマはイスラム主義を穏健化し、欧米的世界に融和させる理想を持ち、最終的にそれに失敗したのだと考える。今後新たな反駁資料が現れない限りこれを僕の暫定的結論としよう。
 
もう一度3段階のモデルを書いておくと
① 冷戦時代・・・・共産主義封じ込め政策
② ブッシュとネオコン・・・大中東アジェンダ
③ 直接の武力介入から反政府運動の利用への転換
 
 
大中東アジェンダの理念はブッシュ・ドクトリンにその「表のイデオロギー」が示されている。しかし過渡的なものとしては既に1979年のイラン革命にその端緒が見られる。田中宇氏によればホメイニの革命をアメリカは陰で援助している。
それまでパーレビ国王を支援していたアメリカが何故ホメイニの革命を助けたのか? それは70年代からデタントによって軍事産業が不況に陥りイスラム主義を新たな仮想敵として登場させる試行錯誤が既に始まっていたのである。
 
一方アフガンへのソ連の侵攻と反ソのゲリラ活動も1979年に始まっている。櫻井春彦氏によれば、それは民主党カーター政権の大統領補佐官、ブレジンスキーの戦略だったと言う。
 
上の記事の内容を要約すると・・・・・
アフガンゲリラはサウジのワッハーブ派とムスリム同胞団を中心に組織されCIAによって訓練された。
後にエジプト革命で対立する事になるワッハーブ派とムスリム同胞団がこの時は共同戦線を形成していたという事である。ナセル暗殺未遂事件で非合法化されたムスリム同胞団は多くがサウジへ避難、そこでワッハーブ派の思想的影響を受けたのである。
 
このアフガンゲリラは僕のモデルでは明らかにまだ①の共産主義囲い込みの段階である。しかし同じ時点でイランでは②の反米イスラム主義の謀略も既に始まっていたと言う事だ。しかしこの反米イスラム主義は表では反米だが裏ではCIAにコントロールされなければならない、というのが②の前提である。ところがイランの民衆はアメリカの意図を超えて反米意識が先鋭化しアメリカ大使館占拠事件を引き起こした。
 
アメリカはホメイニとは極秘にコンタクトを取っている。そうでなければイラン・コントラ工作は不可能だ。またレーガン次期大統領のスタッフはホメイニに対し「レーガンが大統領になるまで大使館占拠を引き延ばしてくれ」と卑劣な交渉もしている。
 
 
しかしイランは次第に本物の反米になっていった。アメリカは反対にイラン打倒戦略へと切り替える。そこでアメリカが新たに目を付けたのがサウジアラビアである。サウジはイラン革命とその影響で起きたメッカのモスク占領事件に大変な衝撃を受け、シーア派原理主義に対抗するスンニ派原理主義の過激派を育てる役割を引き受けた。
 
そこでアフガンゲリラはサウジが管轄するようになり、そこからアルカイダ系武装集団の全てが生まれた。その責任者はサウジ情報庁長官のタルキ・アル・ファイサル、その部下で戦闘員のリクルートをしたのがオサマ・ビンラディンだった。
 
                    
 
以上の様にアルカイダは民主党ブレジンスキーの戦略によってアフガンゲリラから生まれた。しかしそれを①から②へ反ソから反米へと転換させたのはやはりブッシュとネオコンであると僕は考える。
 
 
 


 

2006年にイスラエルがヒズボラの戦闘からレバノン領内へ侵攻した事を契機にコンドリーザ・ライス国務長官はテルアビブで「新中東計画」という言葉を使い始め、ほぼ同時期にペンタゴンの幹部ラルフ・ピーターズ中佐が作成した下の地図が「Armed Forces Journal」で公表された。ピーターズの論文も和訳されている。
 
比較のために現代の中東地図も合わせて載せる。
 

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これは露骨にイスラエルの利害に忠実な計画と言える。北アフリカを含めた「大中東アジェンダ」をネタニヤフが危険過ぎるとして拒否した事を受け、北アフリカ地域が除外されている。
 
次にイラクをシーア派、スンニ派、クルド人支配地域に3分割する事、これは一見するとシーア派とスンニ派の泥沼の内戦状態になった現状の追認でありアメリカの軍事・外交の失敗と多くの人が論じているが、実はこれがイスラエルとアメリカの計画だったという話も有る。
 
しかもクルド人国家はトルコの一部を分割してイラク北部と合体させる計画になっている。
 
パキスタンの南部バルチスタンを独立させる事、これはパキスタンの経済力を弱めると同時にイランの中にも多く存在するバルチスタン民族の独立運動を刺激し、イランに対しても楔を打ち込むという事である。
 
イスラムの聖地メッカ、メディナをサウジから独立させる事、これはもちろんサウジの宗教上の特権的地位を奪う事でサウジの力を弱める事だ。
 
問題はこんな事をトルコやパキスタンやサウジが認めるはずもなく反政府運動の内乱を予定しているという事である。
これは「中東の民主化」という名目にカモフラージュされた「中東内乱化計画」なのだ。
 
 
上の田中氏の記事は「イラク3分割は石油のため」という説を「浅はか」と断定する。僕もその通りだと思う。しかし「この3分割はイスラエルのためにもなっていない」という最後の結論には同意できない。
 
田中氏の説は「アメリカには単極化と隠れ多極化の2つの勢力が内在し拮抗している」という持論に基づくものであり、それ自体に反論できる知識は僕には無いが、このイラク戦争に関しては石油メジャーの利益とリクード、軍事産業の利益の対立という事で説明できると思う。
 
石油メジャーにとってはイラクが統一された方が安定供給が達成され長期的には利益が上がる。しかしリクードは極端に言えば中東アラブ諸国全てが永久に内戦状態になる事を望んでいる。リクードがもともとファシストであった事を忘れてはいけない。軍事産業にとっても内戦が恒久化し拡大した方がもちろん儲かる。
 
アメリカ軍事産業は80年代後半から低迷が始まり、91年の湾岸戦争で少し持ち直したものの再び低迷が続き、それがアフガン、イラク戦争から突然V字回復をしている。
 
「新中東計画」はリクードと軍事産業のために大中東アジェンダが修正されたものと見なして良いと思う。
冷戦時代、イスラエルはアメリカが中東に撃ち込んだ楔であった。
ところがネオコンの台頭後は全く違った様相を呈している。
イスラエル右派がアメリカという国家を占領してしまったのだ。
 
 
 
 
ネオコンは当初はCIAとの相互不信からも推測される様に軍産複合体の中でも跳ねっ返り分子であり反主流派だったが、ブッシュ時代に次第に共和党内主流派となり、民主党オバマ大統領になっても側近にスーザン・ライスのようなネオコンを何人も送り込みオバマの計画をネオコン寄りに歪めた事が推測される。
 
しかし軍産複合体がネオコン一色になったかと言うとそうも言えないようだ。今も内部でイスラエル右派系と反対派の対立が有ると見られる。
 
イスラエル右派(本来のネオコン)は中東でスンニ派とシーア派を争わせて永久に内戦状態におこうとする。それがイスラエルにとって利益になるからだ。軍事産業もそれと利益を共にする。
 
反対派は中東でアメリカ寄りの政権を増やし安定化を図ろうとする。この核になっているのは石油産業と考えられる。
 
冷戦時代はこの中東安定化勢力が湾岸の王国を親米化する方向へ努力が傾注された。
オバマはこれを転換しムスリム同胞団を使って民主化しようとしたが、これがイスラエル右派と湾岸の王制国家を怒らせる事になり、特にイスラエルとサウジがオバマの民主化戦略を潰そうとする意図がISISの成長に大きな役割を果たした。
 
オバマはムスリム同胞団を支持したかったがエジプト革命の中で同胞団が反米化して行ったため躊躇し、親米に変えようと工作した。アメリカのエジプト革命への対応の右往左往はこれで説明できる。
 
「中東内戦化」と「中東安定化」、少なくともこの二つの対立は確実に存在する。しかしこの二つはロシアとイランを敵視する点では一致している。オバマもこの点は例外ではないため、ヒラリーやスーザン・ライスなどの強硬派に引きずられる結果となった。
 
CIA・軍産複合体の中東戦略が2回転換したと前に書いたが、大統領と軍産複合体の確執を念頭に置くと、ブッシュ以後は軍産複合体の本質的戦略は「中東内戦化」「イラン政権の打倒」という点で一貫しており、そのためにアルカイダ、ISISなどの似非テロ組織を使う点でも一貫している。従って本質的な戦略転換は一回だという事だ。
 
チュニジアとエジプトが初めは民衆革命の要素が強かったのに対し、リビアは英仏ロスチャイルド、シリアはアメリカネオコンの主導で戦争が始まったと見られ、初めから侵略戦争の性格が強い。