ハンガリー生まれのユダヤ人ジョージ・ソロスは自分の強い反ロシア感情が個人的経験に由来する事を公言している。
ソロスが13才の時、祖国ハンガリーはナチスに支配され戦後はナチスの代わりにソ連が支配するのを見ると彼はイギリスへ移住、重労働で苦労しながらロンドン経済大学へ通った。
彼はカール・ポパーに師事し彼を「哲学的導師」と仰ぐ。後にソロスが設立した中央ヨーロッパ大学ではポパーの講演を依頼し、大講堂は「ポパールーム」と名付けられた。ソロスの政治介入の為の財団「オープン・ソサイエティ」はもともとカール・ポパーの概念である。
ソロスが初めてファンドを設立したのは1969年、39才の時である。
ヘッジファンドというものを彼は「再帰性理論」で説明している。
それは投機の結果を予測する事が投機行動にフィードバックし、その結果をまた予測し、それがまた投機行動にフィードバックする、という様に投機行動が再帰関数になるというものだ。
彼はそれを自分のクォンタムファンドのボロ儲けの秘訣の様に語っているが、3回以上のフィードバックは経済学的には無意味である事は少し考えれば解る。だから再帰性理論自体は彼が宣伝するほどの意味は無い。
むしろ彼が長けていたのは初めに大々的に売りを仕掛けて世間が釣られて売り傾向になった時に陰で別の人間、或いは組織に徹底的に買わせるという「騙し、フェイントの技術」や政治家とのコネを利用したインサイダー取引をインサイダーである事を徹底的に隠す技術であろう。彼はそういう技術をロスチャイルドから学んだ。
ポーランドの「連帯」から始まった東欧の反ソ革命だけでなくアジア金融危機でもロシア経済への攻撃が一つの目標になっていた事は今から振り返れば明らかである。しかし差し当たって僕が今興味を持つのは「アラブの春」におけるソロスの役割である。それを次回まとめてみたい。
この初回は差し当たり、次の事を確認しておきたい。
ソロスはグローバリストでありEU擁護派であるが、それは儲けのためであって、彼に打算抜きの政治的主張というものが有るとすればこの強烈な「反ロシア感情」であり、それをイデオロギーにまで高めたのがカール・ポパーである。
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