この前紹介したピリアさんのブログで「宮崎駿の様々な作品を通して見ると主人公が成長している」という見方が示されている。 https://inspiration.hateblo.jp/
これがたまたま今晩見たノヴァーリス・ボットのツィッターの次の言葉と重なってしまった。
「長編小説(ロマーン)は連続的に書いてはならず、個々の総合文(ペリオーデ)に分節された構造を持っていなければならない。ひとつひとつの小さな断片は、切り離されたもの、区切られたものであり、それ自体でひとつの固有な全体をなしていなければならない。」
ノヴァーリスは小説がモナド的な体節構造を持つべきだと言っているのだ。そしてジブリアニメにもそういう構造が見られるとしたら・・・・・・・・
コメント
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そうするとジブリアニメもゾラもドストエフスキーも全体としてラセン運動を描いていて、それが動物の体節と何処かで繋がっているとしたら、
もしかして動物の体節も円運動に見えて、その背後にラセン運動を隠しているかもしれない。
そう言えば植物の葉は螺旋形に生えていきますね。
などとどこまでも妄想が広がって行きます。笑
ミトラ
がしました
これはゲームの話ですが、僕がこどもの頃のゲームソフトのシナリオは、最後のボスを、なんらかの神にする設定が多かったような印象を受けますね。僕が特にそういうのにたまたま惹かれただけかもしれませんが。
今となっては神のHPは0に近いでしょうが、当時のゲーム製作者は、最高位の限界を突破する、みたな社会意識を作りたかったのか、持っていたのかなあ、と思うことがあります。
ミトラ
がしました