南方のドラヴィダ式と北方のインド・アーリア式の対照にもう少し注目してみよう。
エローラ第16窟のカイラーサナータ寺院とマハーバリプラムの海岸寺院はほぼ同時代の8世紀の建造物だ。エローラではこの方の素晴らしい資料を参考にさせてもらう。
https://www.abaxjp.com/ind07-kailasanath/ind07-kailasanath.html
前回、マハーバリプラムの塔の斜面の凹凸には人物や神の像が見られないと書いたが、下の礼拝堂の壁には人物や神のレリーフがある。
写真はこちらからお借りしました。https://www.hasegawadai.com/world-heritage/世界遺産で学ぶ世界の建築/建築19-ヒンドゥー教建築1/
参拝者が出入りする所にのみ彫られたレリーフは表現も素朴で密教的なドロドロした感じやエロティシズムは感じられない。斜面は神や人物像のない屋根だ。これなら古代ギリシャや中国、日本の感覚とあまり変わらない。
これに対しカイラーサナータ寺院の方はすでに寺院の壁全体が多くの神像で飾られ、ラーマーヤナのストーリーが稠密なレリーフになっている。
寺院の底辺は象が支えるデザインとなっている。
これは古代インドのこんな世界観によっているのだろうか。
まだカジュラーホほど過激ではないがミトゥナ(男女交合)像も見られ、アプサラスの舞にはタントラ的なエロティシズムが漂っている。
チョーラ朝(846〜1279)の首都タンジャーヴールはパッラヴァ朝の首都よりずっと南、スリランカの対岸辺りにある。
チョーラ朝はパッラヴァ朝と同様、ドラヴィダ系のタミル人の王朝だが、タンジャーヴールのブリハディーシュヴァラ寺院は建設が11世紀の初め、前回書いたダルマラジャ・ラタより350年ほど時代が下る。高さ60mを超えるヴィマーナと二つのマンダパ(礼拝堂)を持ち、ドラヴィダ型ヒンドゥー建築の頂点と言われる。
写真はこちらからお借りしました https://worldheritagesite.xyz/contents/brihadishwara/
同じドラヴィダ様式でもパッラヴァ朝のダルマラジャ・ラタや海岸寺院よりずっと稠密なデザインで規模も大きい。しかしヴィマーナの斜面のレリーフを拡大して見ると動物の像があるようだがやはり神像や人物像はあまり見られない。
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本題から外れるが、同じ塔でもパッラヴァ朝のマハーバリプラム、チョーラ朝のブリハディーシュヴァラ、チャンデーラ朝のカジュラーホで呼び方が違うのでややこしい。
ヒンドゥー寺院ではシヴァ神像などを祀る最奥にして神聖な場所をガルバグリハ(至聖所)、その前の参拝者の入る場所をマンダパ(礼拝堂)と呼んで区別する。
岩壁を横に彫る石窟寺院のタイプではマンダパの奥にガルバグリハが垣間見える構造になっている。
パッラヴァ朝のラタ(石彫寺院)はガルバグリハのみ。海岸寺院では塔がガルバグリハ、隣に方形のマンダパが並んでいる。(下に直方体に見えるのがマンダパ)
チョーラ朝になるとガルバグリハは下の部分のみで塔全体はヴィマーナ(本堂)と呼ばれるようになる。ヴィマーナは本来「天に浮遊する乗物」の意味だそうで、資料によって黄金の船、四輪の戦車、七階建ての宮殿(下図)などに描かれる。
下のエローラのカイラーサナータ寺院では右の四角錐の塔がヴィマーナ、その奥の屋上があるものがマンダパである。
カジュラーホ遺跡では砲弾型ピラミッドはシカラと呼ばれる。これはもともとヴィマーナの上に乗っている丸い冠石の事だ。(下写真)それが拡大して全体化したのである。
そう言えば日本の五重塔ももともとはインド様式のストゥーパの屋根の上にあったものが拡大したものという事をどこかで聞いた。
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