ドラヴィダ様式の直線的な傾斜と神像の無い幾何学的なデザインはインドの仏教寺院に共通するものがある。多くの寺院を見るほどドラヴィダ様式と仏教様式は「タントラ的な要素」の欠如している事がはっきりしてくると思う。
ヨーガはドラヴィダ文化がルーツだが、タントラ的、密教的なるものはヨーガによる内省的修行だけでは成立しないのだ。そこに北方のアーリア文化の「何か」が合流、合体しなければならない。




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前回挙げたチョーラ朝のプリハディーシュヴァラ寺院が南方ドラヴィダ様式の頂点だとすれば北方インド・アーリア様式の頂点は何と言ってもカジュラーホ寺院群だろう。カジュラーホはエロティックな彫像であまりにも有名だ。


寺院の建設は10〜12世紀、チャンデーラ朝の時代である。チャンデーラの名前は月神チャンドラに由来する。彼等は月神からうまれた由緒あるクシャトリヤの家系、ラージプート族であると自称した。

チャンデーラ朝は約200年の治世下で85ヶ所の寺院を建てたが現存するのは25ヶ所だけである。シヴァ神を祀るヴィシュヴァナータ寺院、ガンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院、ヴィシュヌ神を祀るラクシュマナ寺院などが特に有名だが、構造はどれも似ている。


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          カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院 
写真はこちらからお借りしました。
https://www.abaxjp.com/ind01-khajuraho/ind01-khajuraho.html

 
前回書いた様に、ドラヴィダ様式の塔がヴィマーナ(本堂)というのに対し、アーリア様式の砲弾型の塔は同じヴィマーナでも特にシカラ(頂)と呼ばれ、もともとはヴィマーナの頂点にある冠石である。アーリア様式では本堂のシカラの隣りに山脈の様に幾つものシカラが少しずつ小さくなりながら繋がっている。これは三木成夫氏の体節の起源を描いたこの図を連想しないだろうか?

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シカラを拡大して見ると小シカラの集合体である事が分かる。

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このフラクタルなデザインはまさに大宇宙と小宇宙の照応、一致を表現している。

そして中段にわざと間隙(バルコニー)を作って上段が宙に浮いた様に見せている。

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上段が「天空都市ラピュータ」の様に「宙に浮かぶヴィマーナ」を表しているのだろうか? いや、そういうわけでもなさそうだ。何故なら祀られる神像やリンガなどは下段にあるからである。
このバルコニーは内部の彫像に光を当てる採光のための構造と説明される。しかし採光のためならもっと柱を太くし寺院の安定性を考えるはずではないだろうか? いやそれより全体を隙間にするより窓を多数作ればより安全な構造になるはずだ。

このバルコニーは採光以上の何かの目的がある様におもわれる。それは何だろうか?

いろいろ考えたが、どうやらこれは間隙を作ること自体に意味を見出しているのだと考えざるを得ない。ここで我々は再び山をくり抜いて寺院を建造するのと同じ衝動にぶつかるのである。アーリア様式はただ、寺院の中段を穿ち、細い柱で上下が繋がっている、そういうフォルムに対する(もしかしたら無意識的な)嗜好を持っていたのではないだろうか?
そこまで思い到るとやはり無脊椎動物にその同じ嗜好を発見する。


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時代がもっと下るとこの「意味不明の穿ち構造」は寺院の柱にも見られるようになる。

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ミトゥナ像に代表されるエロティシズムとタントラの教義については次回にまた。