カジュラーホ寺院群のエロティックなミトゥナ像はあくまでも宗教的表現である。それは正統派のヴェーダ研究から異端視されていたシャクティ崇拝、ナータ崇拝などの流れが次第にタントラとしてヒンドゥー教の正統派になっていった過程と並行している。


タントラの聖典の多くは紛失しており、日本語に訳されているものはほとんど無い。そこでネットにある幾つかの資料とクシティ・モーハン・セーン氏の「ヒンドゥー教」を参考にタントラの大まかな特徴を掴み、それをヒンドゥー寺院の美術的特徴と較べてみたい。


マウリヤ朝時代に全盛となった仏教に対しヒンドゥー教は4〜6世紀のグプタ朝時代に台頭した。それはバラモン教がドラヴィダ人の土着信仰を吸収していく過程である。

ヒンドゥー教は深淵なウパニシャッドの形而上学より信愛(バクティ)に大きな価値を置いた。バクティは愛と崇拝を重視する。庶民的な宗教が哲学的深化より分かりやすい崇拝対象を求めるのは古今東西変わらないようで、熱烈なバクティ運動は抽象的なブラフマンより具体的な人格神を求め、シヴァ派やヴィシュヌ派が成立する。サーンキャやヴェーダーンタ学派がバラモンだけを相手にしたのに対しヒンドゥー教は王族や庶民を教化しようとした。ブラフマンから人格神へ、情念の滅却から感情の横溢へ、バラモンから庶民へ、がヒンドゥー教の基本的方向である。 

前に書いた様にドラヴィダ文化は母権的性格が強かったと考えられる。それがシヴァ派やヴィシュヌ派の中にシャクティー派が浸透していく要因となった。シャクティーは本来はシヴァ神の神的力を意味するが、同時にシヴァの妃パールヴァティーの性的力をも意味するようになり、タントラにおいてはシヴァとパールヴァティーの性的結合が救済、解脱を意味するようになる。

ヒンドゥー教のタントラ化はクンダリニー・ヨーガの成立と並行している。
5世紀に書かれたと言われるパタンジャリの「ヨーガ・スートラ」は古典ヨーガの集大成であり理論的にはサーンキャと表裏一体となっている。サーンキャとヨーガは仏教にも大きな影響を与え唯識派を成立せしめた。

古典ヨーガにはクンダリニーやチャクラの記述が無い。情念を制御し静止させる事が解脱である。この「情念の滅却」、フロイト的に言えば性的リビドーの消滅を目指す古典ヨーガがいつの間にか反対にリビドーを強化し質的に変化させるクンダリニー・ヨーガに変わるのである。
クンダリニー・ヨーガがいつ頃成立したのかは分かっていない。しかし現代先進国で美容体操やエステに矮小化されているハタヨーガやアーユルヴェーダは本来はクンダリニー・ヨーガと表裏一体のものだ。

このバクティ運動の熱狂性、女性的なシャクティー崇拝、クンダリニー・ヨーガの確立、この三つがヒンドゥー教タントラ化の大きな要素であると僕は考える。

それではシヴァ派とヴィシュヌ派、シャクティー信仰、ヨーガの密教化について具体的に検討しよう。