2E793DA9-1535-4040-8DCE-A4818E5AE074


マラルメの理解をどの様に進めるか考えている。彼はボードレールよりずっと手強い事が判った。ボードレールの様な「愛の破綻」や「政治の挫折」という手掛かりがマラルメには無い。しかも彼の詩の内容自体が詩論である「メタポエム」となり、詩論自体も散文詩になっている場合が多い。しかもその詩論はフランス語による表現の仕方に大きな比重があり翻訳ではほとんど彼の思想に接近できない。


差し当たりマラルメの詩を前期(1860年代の作)と後期(70年代以後の作)に分けよう。この二つの群を分かつものは彼が1867年から数年にわたって苦しんだ神経疲労、精神錯乱である。

wikipediaによればそれは彼にとって「形而上学的危機」であり「この世の一切が虚無であることに遭遇し、キリスト教における神の死を悟り、ロゴスとコギトが解体され、存在の根拠を失う」深刻な経験であった。この危機の後、彼は言葉と存在の根拠を問う哲学的課題を深め、詩は一段と難解に観念的になっていく。この精神錯乱と形而上学的危機の具体的内容は公開されずに秘匿されていた断片的な物語「イジチュールまたはエルベノンの狂気」に示されている。

彼は前期からボードレールとポーの詩論の影響を受けていたが、同時にユーゴーの「レ・ミゼラブル」も熱読するという状態だった。彼の独自の詩論の多くは精神的危機を経た後期のものである。後期の詩や詩論を理解するには「イジチュール」の読解が不可欠だろうと思われる。


しかし先ずは前期の詩を吟味してみたい。
ヴェルレーヌの「呪われた詩人」の中でマラルメの7篇の詩が取り上げられている。この7篇はマラルメ自身が選んだものだそうだ。
① あだな願い ② 不遇の魔 ③ あらわれ ④ 聖女 ⑤ 詩の贈りもの ⑥ 今夜 ⑦ エドガー・ポーの墓 である。この内いくつかを前期の代表作として取り上げる。幸い「呪われた詩人」についてフランス文学の専門家による論考がある。


これを参考にしよう。次回は「あらわれ」「あだな願い」を鑑賞する。