台風が近づく10月の肌寒い夜、私は雨の音を聞きながら生物学の本を読み耽っていた。私はもう何十年もの間、ゲーテの「生物の原型」とユングの「神話の元型」が同じ物だという想念に取り憑かれていた。

それはどちらも「原型とメタモルフォーゼ」という在り方をしている。少数の原型から何度も分岐を経て樹状に拡がって行く生命だ。ヘッケルの反復説とノイマンの「元型の系統樹」を知ってさらにその確信を深めた。それは「個体発生が系統発生を繰り返す」という特殊な時空の構造を共有している。

そこまでは確信しているのだが、なかなかそこから先が続かない。私は雨の単調な音と本来専門でない有機化学の難解さに眠くなってきた。

雨の音が文字と重なってダンスを始めた。文字列が次第にうねって蛇の様に波打ったかと思うと先が二つ、四つと分かれて木のように上に伸びて行く。そのうち文字に色まで付き始めた。文字はそれぞれ個性的なファッションに身を包んだモナドだ。脚を交互に上げるダンスを踊る事でイオン化にバラツキが生じ、その濃度勾配が分岐の原因になっているのだ。しかしモナドはいくらメタモルフォーゼが進んでも原型を忘れていない。

原型はピアノの和音、メタモルフォーゼはヴィブラフォンのメロディーだ。ミルト・ジャクソンのアドリブはメロディーのメタモルフォーゼだ。その色の散りばめ方はゲーテに学んだのだろうか?

しかしそのうち逆にピアノがメロディーを弾き始めた。これはどう解釈したら良いのか? 通時的構造より共時的構造が論理的に先立つのではなかったのか? もしかして時空が反転したのか? 裏表がひっくり返るとメロディーが共時的構造になるのか?

頭が混乱していると姿の見えない誰かがこう言ってくれた。「方法論に拘る必要はない。それは後からついて来るものだ。まず現前する豊饒さに首まで浸りなさい。」

ふと目を覚ますと私はYouTubeでジャズを聴いていたのだった。

秋の夜は長い。



cf. 
https://m.youtube.com/watch?v=-D-I1505-us&pp=ygUdYSB0aW1lIGZvciBsb3ZlICBtaWx0IGphY2tzb24%3D