これは以前別のサイトに書き込んだ事の繰り返しなのだが、複数のペンネームを使ってキャラクターを使い分けていると次第にその架空のキャラクターに取り憑かれそうになる事がある。

歴史的人物の演技を続ける事でその人の霊に取り憑かれる例はよく聞くが、それが架空のキャラでもあり得るという不思議な現象をネットの中で見てきた。また自分が架空のキャラになり切って架空の異性に恋をする事さえ可能だという事も。インターネットをやって初めて「演技する」事の怖さを実感した。

アルベール・カミュの「シーシュポスの神話」は無神論者にとってどのような実存が可能かを考察したものと僕は受け取ったが、そこで「ドンファン」「征服者」と並んで「俳優」を挙げていた意味が最近ようやく分かってきた様な気がする。