バロック時代のスペインという「神秘主義と行動力を結合する特殊な磁場」についてはエル・グレコやアヴィラのテレジアの体験などの記事で書いてきた。http  http

本来異質な物を結合する時に生ずる不安定性が他者への攻撃性へと転ずる。これはバロックのある本質的な点を突いている。僕の本棚の記事で紹介したフリードリッヒ・ヘーアの素晴らしい講義を聞いてみよう。

>カトリック王フェルナンドの遺言はまた「異教徒に対する闘い」という帰結を持っていた。この言葉こそスペイン民族の偉大と悲惨、つまり、スペインの悲劇を含む言葉である。ところによっては細部にいたるまでイスラム化し、セム化したスペイン民族は、おそるべき努力を重ねて、ムーア的、イスラム的、ユダヤ的遺産を除去しようと努める。

>彼等は「正教を信じ」ヨーロッパならびに全世界における正統的、ローマ的キリスト教の番人たらんとするであろう。なぜならスペイン民族は、自分たちが表面上「回心した」ムーア人とユダヤ人とを、反抗的個人においてだらしなく結びつけたにすぎない者である事を、ただフランス人とイタリア人によって嘲笑されて知っていただけでなく、みずからの良心にかえりみても知っていたからである。

>「スペイン的本質の内的不安定」はアメリカ征服、フランシスコ・ザヴィエルのアジア使節、イエズス会の創設、アビラのテレジアと十字架のヨハネを中心とする神秘主義のなかで、発酵して、わき出ている。


つい先日、たまたまYouTubeでこのパイプオルガンと闘牛が同居する世界を聴いた時、僕はヘーアのこの叙述を再び思い出したのである。

  


セビリアのマカレナ教会の聖母マリア像は17世紀に製作されて以来、闘牛士とスペインのロマ(いわゆるジプシー)の守り神とされてきた。

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この聖母像は毎年イースターに山車に乗せられて街を巡行する。よく見ると顔にガラスの滴が光っている。「涙を流す聖母」とも呼ばれるそうだ。
 
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聖母像と闘牛の結合、実に象徴的ではないだろうか?