カテゴリ: 比較文化の座標軸

この記事は事実上「性善説と性悪説」の記事の続編である。httpルターの家父長的傾向はカトリックにも共通する比較的性善説的なものであり、ボルケナウの性悪説の理念型とは矛盾する。この辺がボルケナウを読んでいない人には理解しにくいと思うので、差し当たりボルケナウが ...

この記事は、これまで僕の中で統合されずに並存してきた思想史的アプローチと神秘主義的アプローチを結合する、僕にとっての最大の飛躍である。①    太陽  月     大地②     光        火   水③   透明                混沌 ④   孤立粒子    ...

今回の記事は暫定的で未完成である。今後少しずつ記事を修正していこうと思っている。 精神と物質は本当は同じものの裏表なのかも知れない。僕はそういう考えに傾いている。 しかしさし当たって別のものと考えた時、精神と物質は相互に影響し合っている。 単純な唯物論者が ...

ニーチェの処女作「悲劇の誕生」はその後の彼の思想の根本モチーフを直接的に表現している、謂わばニーチェ思想の「原点」である。「キリスト教のルサンチマン」「強さのペシミズム」「ギリシャ神話とユダヤ神話の対称的性格」「道徳に対する芸術の優位」など、その後のニー ...

マックス・ヴェーバーは、全ての宗教倫理が幸福の神義論と苦難の神義論に分類されると考えた。苦難の神義論はニーチェの「ルサンチマン」の概念を批判的に継承したものである。これは3幕のドラマとして語ると分かりやすいと思う。第1幕 <バビロン捕囚>B.C.597年、新バビ ...

この記事はまだ思想史の勉強が浅い時に書いたもので、大変恥ずかしい内容なのだが、今後近い内にヴェルフリンを読み直して修正するという事で、一応公開する。ルネサンスとバロックが美術史上の対立する概念として確立されたのは意外と最近で19世紀も末になってからである。 ...

性善説と性悪説はキリスト教では「ヘレニズムとヘブライズム」という座標軸と「汎神論と超越神論」という座標軸にある程度重なってくる。キリスト教にはストア派の「自然法」や新プラトン主義の「流出論」「汎神論」といったヘレニズムの思想と、「終末論」「超越神との契約 ...

このブログの思想史的アプローチの基本となる座標軸をこれからいくつか書いてみたい。先ずは「性善説と性悪説」の理念型を説明する。この理念型はフランツ・ボルケナウの著書、「封建的世界像から市民的世界像へ」から読みとったものであり、この書を理解する鍵となる。(た ...

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