下のグロテスクだが美しい絵はヘッケルの著書「生物の驚異的な形」の中にあるほんの一部である。ヘッケルは人種差別的発言によって酷く評判を落としたが、「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説は最近見直されつつあると僕は確信している。





放散虫
この図をよく観察すればそこに色々な隠された原理が読み取れる。まず形の共通性だ。
単細胞生物である緑藻とクラゲでは形態形成の原理が全く違うはずだ。それにも関わらず似た形になるのは生物学で「収斂」と呼ばれる。少なくともモルフォゲンでは説明がつかない現象であり、形態形成がもっと違ったレベルでも制御されている事を想像させる。
カオス理論をかじった今、それは無機物にも現れる事を我々は知っている。例えばこの放射状の形は雪の結晶とも共通している。だとすればそれはフラクタル幾何学の問題であり漸化式が関係しているに違いない。
ドゥルーズが「潜在的なベクトル場」と呼び、シェルドレイクが「形態形成場」と呼ぶもの、そこがゲーテの形態学のフィールドである。それは隠された、しかし表の形に兆候として現れている原理を見つける事だ。
「世界は神の皮膚である」・・・・シュタイナー
世界の皮膚の下にある原理を探してみよう。
原始的な動物は放射状に伸びる傾向が有る。それも均等に伸びるのではなく不均等に伸びる、つまり円形ではなくギザギザになり触手を何本か伸ばす事になる。
触手は多くの場合枝分かれして「フラクタルの木」と呼ばれる形になる。これは非自己相似のフラクタルだ。
これは体積に対して表面積をできるだけ大きくする原理とも考えられる。それによって周りの水や空気との物質交換の効率を最大化する効果がある。
不均等な放射と言えば、我々はついこの間「ユリイカ」で同じ考察を見たばかりだ。それはポーの勘違いだったが、「ビッグバンにおいて物質を宇宙全体にほぼ均等に拡散する意志」と考えれば根本の発想は間違っていない。この不均等な放射状形態は無生物でも見る事ができる。例えば拡散律速凝集だ。

ただの枝分かれではなく、空間全体を埋める様な構造はリアス式海岸でも見られる。

この曲線的な凹凸が気味悪いのはそれがヒンドゥー建築にも共通する「ディオニュソス的なエロス」を感じさせるからであり、さらにそれは動物の内臓を連想させるからだ。

この突起物は放射状ではなく口と肛門を持つ左右相称動物でも中心軸から反対向きの2方向に突起を伸ばす傾向として継承されている。
それは昆虫の足となり哺乳類の肋骨となる。
しかし触手は伸びると曲がって傘状になろうとする場合も多い。クラゲ、ウミユリ、イソギンチャクなどがそうだ。
これは脊椎動物の肋骨でも同じである。この場合は筒状になろうとする。どちらにも共通するのはそれが袋状になり内部を保護する形になる事だ。
これは初めから内部保護の為に突起物を作っているのだろうか?
いやそうではないようだ。ウニの様に初めから全球的に三次元の放射を作る種もあればヒトデの様に丸くならずギザギザで終わる種も有るからだ。多くの種で初めは平面状に放射した後、「あっ、間違えた。この世は三次元だった。」と言ってその平面をまるめているかのようである。
この突起物が傘状に丸まった形状はウミユリとイソギンチャクでは捕食のために、クラゲでは運動のために使われる。
ここで分かるのは生物では1つの構造が様々な目的に転用され得るという事だ。人間の眉間の奥にある松果体はもともとは眼だったと言われている。生物における分業体制はフレキシブルで配置転換の可能なものである。手の平で物を見る能力は決してあり得ない事ではない。
放射状突起物の出発点、起点は点であるのに対し、昆虫や哺乳類のムカデ状突起の起点は線分である。点が線分になる事による体制の転換は拡散律速凝集でも示す事ができる。上の放射状の凝集が核になる物質を直線に置く事で下の様に変化する。

何を当たり前の事を言っているのかと訝しがるかも知れない。しかし普段当たり前の事として見過ごしている中に深い真理が隠れている事もある。
ここで分かるのは、形態形成に関する根本の体制がひっくり返ってもある部分が頑固に保守され得るという事、進化する力と保守する力の共存である。ここでは放射の起点が点から線に変わるのが進化、不均等な放射と放射平面の事後的変形が保守である。
動物の鞭毛・繊毛の断面の構造は下図の様に9+2の繊維でできている。これはミドリムシの鞭毛から人間の気管の表面の繊毛まで変わらない。

RNAからアミノ酸への変換のアルゴリズムもウィルスから人間まで変わっていない。
生物は超常現象としか思えない進化、メタモルフォーゼを遂げながら意外な所で頑固なのだ。
生命の神秘はその中で二つの原理が戦っていると考える事で解明される事が多いと思われる。子孫を残す事をフロイトはエロスとタナトスの戦いとその妥協の結果と見た。(快感原則の彼岸)
これを保守と進化の戦いと見る事でヘッケルの反復説は説明できる。
それは例えば日本での外来文化の受容の仕方に喩えれば分かりやすいだろう。密教はもともと日本に有った山岳信仰と習合し、表でも神仏習合する事で日本に定着した。新しい物は古い物を変形し、その先にちょっと付け加えるという形でしか定着しない。
若者はまず古い物を学んだ後に新しい物を学ばねば理解できない。
シュタイナーは宇宙にも誕生と死滅の循環が有る事をブラヴァツキー夫人から学び「星の輪廻転生」として理論化した。
彼によれば星は土星~太陽~月~地球と転生してきたが転生した際には前世の状態を繰り返すところから始めねばならない。例えば月紀は太陽紀の出来事を反復する事から始まる。反復できるのは前世の事がアカシックレコードに刻印されているからだ。
アカシックレコードを主観に取り込むと阿頼耶識となり物質化されると遺伝子となる。若者が新しい学説は最後に学ぶ様に、新しく付け加えられた遺伝子、またはその機能は最後に発現する。
そう考えれば個体発生が系統発生を繰り返す事になる。
ヘッケルの反復説を図示しようと試みたのが日本の三木成夫である。
三木氏はヘッケルの反復説に加えて比較解剖学、古生物学まで表現しようとしてかえって解りにくくなっているのでヘッケルの反復説だけを表現する模式図として読み直す事にする。
縦軸が個体発生、横軸が系統発生を表している。
5本の太い曲線は赤字で書き込んだ様に左から魚類、山椒魚(両生類)、海ガメ(爬虫類)、ニワトリ(鳥類)、人間の生涯を表す。
5本とも天寿を全うしたとして線が天井まで届いているが、赤い垂直と水平な実線で示した様に魚類は一生かかって到達する系統的段階が人間で言えばy1の段階、爬虫類が一生で到達するのが赤い破線で示した様に人間ではy2の段階である。
下のオレンジ色のアンダラインを引いた区画 x1~x2 は海から陸へ上陸する過程であり、山椒魚と人間でそれがどの様に現れているかが赤い斜線部分で示してある。魚類は一生かかってもその途中までしか達成できなかったのに対し山椒魚は黄色のアンダラインで示した成長段階で達成する。人間では同じ段階を胎児の短い時間で終える。
保守と進化の弁証法のもう一つの例が体節構造である。三木成夫氏は体節構造を下図の様に管クラゲやサンゴなどで見られる群体の「おもかげ」と見ている。するとそれは植物の「積み重ね」体制と動物の「はめ込み」体制の戦いと妥協の姿という事だ。
しかし僕には体節構造に別の意味も有る様に思われる。それは原子論的世界観とモナド的世界観の、ゲゼルシャフトとゲマインシャフトの戦いなのだ。
僕の説を聞いて笑っている人もいるかもしれない。しかしスペンサーの「無機物から人間の社会まで連続する進化論」はこれと似た様な事を言っているのである。ただしスペンサーにはゲーテには有ったモチーフ「大宇宙と小宇宙の照応・一致」というモチーフが欠けている。
というわけでこれからゲーテの形態学の世界を探検してみよう。ゲーテは奥ゆかしい人で、深い真理を示唆するのだがはっきりとは言わない。
ヘッケルやスペンサーはゲーテのモチーフの一部をはっきりと強引に定式化したのである。
僕もはっきり言ってしまおうと思う。
僕もはっきり言ってしまおうと思う。
僕の目指す「生命の弁証法」がいよいよ陽の目を見る時が来たかもしれない。





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