自然主義的生物学とロマン主義的生物学の対立の系譜を辿ると連続している事を確認できる。
リンネとビュフォン
キュビエとサンティレール
ダーウィンとラマルク
そしてこの対立はさらに遡ればアリストテレスとプラトンにまで遡れる。
またニュートンとゲーテの自然観の対立も同じ要素がある。
シェルドレイクの形態形成場やドゥルーズのカオスモスは、ビュフォン、サンティレール、ヘッケルのロマン主義的生物学の系譜を発展させようとするものと僕は理解する。
ヘッケルの反復説については今まで何度も書いてきたので、今回はフランスの博物学者、サンティレールに焦点をあてよう。

ヘッケル サンティレール
エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレール(1772~1844)はドイツのゲーテと同時代人である。彼は動物の比較研究をする内に「全ての動物の構造に単一のプランがあるのではないか?」と考える様になった。
エビの殻と脊椎動物の椎骨の同型性から始まり、昆虫の足は脊椎動物の肋骨にあたる事、昆虫と脊椎動物では背と腹が逆転している事、タコの体は脊椎動物を海老反りにして2つに折り曲げた形になっている事(下図)などを主張し、正統派の生物学者キュビエの激しい批判を浴びた。
タコの身体は脊椎動物をヘソを中心に海老反りにした構造になっている?
比較解剖学に精通していたキュビエは動物を脊椎動物、軟体動物、環節動物、放射動物の4門に分類し、器官の幾何学的配置を門を超えて変換するのは不可能である事を証明して見せた。
その場ではキュビエが勝ったかに見えた。
しかしドゥルーズの考えではサンティレールの思想的射程はもっと深い。彼が問題にしたのは器官の配置の変換可能性ではなく、器官を配置する隠れたダイナミクス、ベクトル場なのだ。
ドゥルーズはこの微分方程式の棲息するベクトル場を「カオスモス」と名付ける。それはカオスとコスモスが分離する刹那を胚胎する場、差異を生産する場である。そしてこれは生命に内在しているのだ。
これは現象を細かく分解するだけの分析的科学によっては到達できない世界のものだ。
サンティレールの「全動物の単一プラン」は「根源形象とメタモルフォーゼ」というゲーテ形態学と共通するものである。二人は互いに尊敬しあい、影響し合った。
ゾウリムシには消化器官や呼吸、循環器官など哺乳類の器官に相当するものがほとんど備わっている。
しかしゾウリムシは単細胞生物だから、その器官の形成原理は科学的には哺乳類と全く異なる。
この様に分析的には無関係のものがほとんど同一の相貌を帯びてくる事、これこそロマン主義的生物学の成立する根拠なのだ。
生物に非常に多く見られる構造に「枝分かれ構造」と「ひだ構造」がある。
枝分かれは木のほかに葉脈や動物の血管、神経などに見られ、ひだ構造は腸管の内部や脳、植物の胞子嚢に見られる。枝分かれの原型はチューブであり、ひだの原型は薄い膜である。
両者に共通するのは一定の体積に対して表面積をできるだけ大きくしようとする力だ。これは最も表面積の小さい形である球の対極にある。
動物も植物も「卵」という球体から始まり次第に球とは反対の形状へと進んでいく。そして子孫を残す時に再び球に戻る。
動物も植物も「卵」という球体から始まり次第に球とは反対の形状へと進んでいく。そして子孫を残す時に再び球に戻る。
ドゥルーズはバロックという概念を「ひだ構造」に模式化した。バッハのフーガとライプニッツのモナド論にそれが現れていると言う。しかし僕はもっと拡張する。
ゴシック建築にも「体積に対して表面積を大きくしようとする」衝動が見られる。「体積に対して表面積を大きくする」という事は言い換えれば「表面積に対して体積を小さくする」という事だ。
紙をグシャグシャにするとひだ構造になる。ひだ構造は成長しようとする力とそれを外から押し潰そうとする力の妥協の産物だという事だ。
まだ未熟なアイデアではあるが、生物の神秘は、二つの力がその中で闘っていると考える事で解明される事が多いように思われる。
サンティレールとゲーテは同時代に「根源形象とメタモルフォーゼ」という同じテーマに到達した。 これはニュートンとライプニッツが同時に微分積分の方法に到達したのと同様、時代精神なのだと考えられる。 微分積分の方法はかなり前から模索されていたようだ。
ニュートンとライプニッツの方法は「古典主義とバロック」という時代的流れの中にあり「世界を幾何学化する」デカルトの延長上にある。
それに対しサンティレールとゲーテの方法は「世界を歴史化する」ドイツ・ロマン派と歴史主義の思考圏内にある。そしてその延長にヘッケルの反復説とユングの元型論がある。
そこには時間軸が空間軸の中へ「入れ子構造」として入り込む「世界の神秘」が直感されている。 これに対しダーウィンの進化論は多次元的な拡がりを持つ豊かなアイデアを押しつぶし、平面化してしまった。
まだ未熟なアイデアではあるが、生物の神秘は、二つの力がその中で闘っていると考える事で解明される事が多いように思われる。
サンティレールとゲーテは同時代に「根源形象とメタモルフォーゼ」という同じテーマに到達した。 これはニュートンとライプニッツが同時に微分積分の方法に到達したのと同様、時代精神なのだと考えられる。 微分積分の方法はかなり前から模索されていたようだ。
ニュートンとライプニッツの方法は「古典主義とバロック」という時代的流れの中にあり「世界を幾何学化する」デカルトの延長上にある。
それに対しサンティレールとゲーテの方法は「世界を歴史化する」ドイツ・ロマン派と歴史主義の思考圏内にある。そしてその延長にヘッケルの反復説とユングの元型論がある。
そこには時間軸が空間軸の中へ「入れ子構造」として入り込む「世界の神秘」が直感されている。 これに対しダーウィンの進化論は多次元的な拡がりを持つ豊かなアイデアを押しつぶし、平面化してしまった。


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