「墨戯」という言葉はすでに北宋時代からあった。

華北山水画を完成させた郭煕とほぼ同時代、文同(1018~1079)が草書の筆使いで竹の絵を描き始め(墨竹)それが梅や蘭にも対象が広がっていったもので、書と画の中間の特殊なジャンルとして成立したものである。
        
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             文同 「墨竹図」




北宋時代の最大の詩人にして宰相にまでなった政治家でもある蘇軾は文同と同郷(四川省)のよしみで彼と親しく交わり、彼の墨戯に士画(後の文人画を彼はこう呼んだ)の一ジャンルとしての理論的根拠を与えた。

蘇軾によれば、士画(文人画)とは
(1) 宮廷や市場と関わりない事、つまり権力や金銭欲に無縁である事
(2) 対等な友人関係を基盤とする事
(3) 形似より写意を重視する事(自然主義に対する表現主義)
(4) 従って詩書画一体を理想とする事
を特徴とする。

米芾(べいふつ)は墨戯の技法を山水画にとりいれ、それを江南山水画の平淡で叙情的な流れと合流させ、米法山水と言われる一流派を作った。

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簡素化された、まるで宋磁器を思わせる様な山と、近景の木や地面の写実から離れた書的な表現が印象的である。

彼は書の大家としても有名で、蘇軾とは逆に顔真卿の書体を嫌い、王義之の書体をさらに洗練させた。その草書は特に優美である。 この王義之への回帰と優美さは、彼の育ちの良さと関係あると思われる。

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宋時代の墨戯は士大夫階級のエリート意識と、それ故の職業画家に対する優越意識が背景にあった。それは金銭的にも精神的にも余裕のあるエリートの余技である。

それが元代になると全く様相が変わってくる。文人はいまや官職を失い、生活に困窮する。
彼等の精神は宋代の様な余裕を失い、狂的な性格を帯び、その隠遁も風流ではなく、反権力の意思表示となる。
その精神の変遷は日本で言えば、明治の剛毅な精神が、昭和恐慌をきっかけに狂信的なものへと変わっていくのに似ている。



呉鎮(1280~1354)は易者をやったり絵画を売って生計を立てた。

晩成型だった彼は晩年にようやく絵画が売れるようになるが、俗物を嫌い、金満家が絵を買いに来ても追い返したと言われる。

彼はほとんど友人を作らなかった。
そして自分の部屋に「笑俗陋室」と名付けた。反俗の精神は装飾を嫌い、文章も不必要な言葉を削ったものだったそうだ。
この世間への反感はそれまでの士大夫には見られなかった精神である。

彼は自分の画は戯作、墨戯であると言う。
墨戯の作は蓋し士大夫詞翰の余

彼は官職がなくても自分を士大夫と考えていた。
彼が四書五経を勉強したであろう事が伺える。

その士大夫の生活から滲み出る単純美こそ彼の言う墨戯なのだ。
彼はその単純美は竹に最も良く表れていると考え、山水以上に墨竹を描いた。

呉鎮の山水画は北宋時代の江南山水画家である董源、巨然を引継いでいると言われる。
        
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          呉鎮 「洞庭漁陰図」



しかし僕の目には、上の山は北宋時代の華北山水に共通するおどろおどろしい表現に思われる。簡素化されてはいるが内臓を思わせる岩は郭煕に共通するものだ。

呉鎮の「双松図」は二本の松が絡み合った不気味な絵である。

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            呉鎮「双松図」



この山や松の不気味さは僕には彼の怒りを表現していると思われてならない。
晩年には彼は禅宗に帰依した。



倪雲林(1301~1374)は全真教の指導者を異母長兄とし、自身も全真教に帰依している。

彼は富豪の家に生まれたが、その相続した財産を全て捨てて20数年流浪の生活を送った。奇行癖があり、極度の潔癖家だったので有名である。

彼は「墨を惜しむこと金の如し」と言われたほど、画面からよけいな物を削ぎ落とした。

その中程が大きく開いた空間は孤独と憂愁を感じさせる。彼はこの同じ構図で執拗に何枚も絵を描いた。

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           倪雲林「漁荘秋斉図」




心象風景を描く山水画はこの
倪雲林で完成されたと言われる。


 
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さて、華北山水に見られる威圧感、おどろおどろしい奇岩に較べて、江南山水の叙情的風景や寂寞感は単にその風土の差だけから来るものではない。

その心象風景の違いはもちろん祖国を失った悲しみや生活の困窮からも来ているのだが、その違いには宗教的背景も感じるのである。

華北山水には仙境に憧れる伝統派、外丹派の魔術的道教の刻印が刻まれていると僕には思われる。下の図は道教の内経図である。
 

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人体の内臓を山水に見たて、山水に龍の気のうねりを見る道教魔術は後の風水や鍼灸の経絡理論に大きな影響を与えた。

ひかりさんが「内臓的」と表現した郭煕の山はこの影響を受けていないだろうか?

逆に簡素で寂寞感のある江南山水は南宗禅とその影響を受けた全真教の心象風景の様に思われるのである。

日本の臨済宗の寺に見られる「枯山水」にも同様の美意識が僕には感じられるのだがどうだろうか。

次回は南宗禅と全真教の関係について述べる。