「オクターブの7音は虹の7色と関係あるのではないか?」というぶっ飛んだ疑問は僕の知る限りではニュートンとドイツ・ロマン派にまで遡る事ができ、現代でもグルジェフなどが論じている。

循環コードと色相環の相似象を考える事で、このぶっ飛んだテーマが初めて意味の有る内容を持つ事になるかも知れない。

音は少なくともオクターヴ、和音、コード進行の3重の写像を経て初めて音楽となる。音楽の現象する空間は絵画よりずっと複雑な構造になっていると思われ、単純に虹の七色とオクターヴの七音を比べる事は無謀な試みだと思う。神の摂理を自然の中へと転移する「アナロギア」は孤立した要素間ではなく、構造のアナロギアであるべきだ。


(1)オクターヴ

オクターヴの形成で
既に直線を円環にする写像が行われている。

オクターヴをドレミファソラシドとするのはもちろんヨーロッパ近代の産物であり、民族音楽では5音階が最も多い。

実は和音とコード進行の原理はこの西洋のオクターヴ、ドレミファソラシドと密接に関係しているのであり、民族的な5音階からは発生しようが無いのだ。だから日本の演歌やタイのルーク・トゥンを見ても民族音楽に和声を付けるには西洋の和声学に頼らざるを得ないのである。しかしそれについてはまた別の機会に考える。



(2)和音

二つ目は和音の形成である。

和音は最低3つの音が重なる事で成立する。

長3和音と短3和音は全く孤立して聴いても或る情動を呼び起こす 。
 ここで初めて音は色彩との相似象を獲得する。

長3和音が「明るい」「嬉しい」 などの感情を呼び起こし、短3和音が「暗い」「悲しい」という感情を呼び起こす理由は未だに誰も説明できていない。物理的には長3和音に較べて短3和音がかすかに不協和音であるという事が分かっているだけだ。

これは光の波長が色という感覚を生むのと似ている。
 その間には物理的過程と精神的現象の断絶がある。

トニックとサブドミナントが色彩では暖色系と寒色系に当たると以前書いた。これも一つの意味深い相似象なのだが、それ以前にまず長3和音と短3和音が暖色系と寒色系に当たると考える事もできる。



(3)代理和音

以前、コード進行はトニックとサブドミナントの往復運動に帰着すると述べたが、それは一つの見方(ジャズ・アドリブでの考え方)であって別の見方もできる。普通はむしろ「5度進行」と「代理和音」で説明するのが標準の理論だろう。

例えば C→Em→Dm→G7 というコード進行ではEmはCの代理和音であり、DmはFの代理和音である。

C→Emは代理和音で、Em→DmはC→Fへの5度進行で、Dm→G7→C は全て5度進行で説明される。

トニックからサブドミナントへの移行は5度進行、サブドミナントからトニックへの回帰は「代理和音に替えてから5度進行する事」と説明できる。「トニックとサブドミナントの往復運動」と「5度進行と代理和音」は裏表の関係にある。

そこでまず代理和音について考えてみたい。

代理和音は循環する。(下図)

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この円環では隣り合う和音が代理和音の関係にある。つまり響きが似ている。しかし2つ3つと離れて行くと全く違う響き、違った感情、情動と結び付く和音となる。

これは色相環と似ている。色相環でも隣り合う色は近い色なのだが、2つ3つと離れて行くと全く違う色になる。

この代理和音の循環が第一義的には色相環との相似象を形成すると考える事ができる。



(4)ドミナント・モーション

ドミナント・モーションと5度進行は本当は違うものである。ドミナント・モーションとはあくまでもドミナント7thからトニックへの進行であり、例えばG7 からC 、E7 からAm への進行がそれである。
これが極めて自然に感じられるのは、そこに「テンションの解決」があるからだ。(テンションの解決については後で述べる。)

C からF 、Am からDm への進行は5度進行ではあってもドミナントモーションではない。5度進行は連続してもコード進行にはならない。
例えば C →F →B♭→E♭→A♭では意味のあるコード進行とはならない。

5度進行はまずトニック、サブドミナント、ドミナントという主要3和音によって設定される平面(=調性)の上で動き、テンションの解決を含む事で初めて感覚的、情動的に意味を持つものとなる。
ここで主要3和音は3原色との相似象をなすとも考えられる。


(5)テンションの解決とカタルシス

循環コードは色相環と相似象をなすが、別の意味では色相環の世界を超える。なぜならテンションの解決を含む事でそれは感覚の領域から情念の流れ、ドラマの領域へと入り込むからだ。
(個々の色彩に情念的な対応物を考えるオーラソーマなどの神秘的発想はまた別の機会に考える事とする。)

ここからはむしろ文学との相似象が見られる。「起承転結」だ。
C → Em → F → G7 は見事な起承転結をなしている。物語性を獲得するのだ。

物語性、その最も単純な形式はカタルシスである。カタルシスはアリストテレスの「詩学」以来、詩や演劇の核心をなすものと考えられてきた。それは悲劇性を頂点まで持っていく事で、かえって心の浄化を得るものだとされる。

音楽におけるテンションとその解決はカタルシス効果であると思う。それは一時的に緊張感を作った後に緊張を解消する事でカタルシスを得るのだと考えられる。


絵画や造形美術でそれに相当するものはもはや色彩ではなく描く内容物による表現という事になるだろう。


このテンションの解決に自然界で似た現象を探すとすれば「電子遷移と回帰」だと思う。
原子が特定の電磁波を吸収すると電子が外側の軌道へ遷移(励起)する。電子の軌道が元の位置に戻る時は電磁波を放出する。

音楽のテンションの解決と悲劇のカタルシスと電子遷移。
興味深い相似象である。