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陸羯南は三宅雪嶺と共に明治中期の開明的な国粋主義を代表する思想家であり三宅雪嶺の起こした「政教社」と陸羯南の「日本新聞」は両輪となって明治の剛毅の時代を疾駆した。



僕の以前の分類では徳富蘇峰らの前向きのブルジョア的ナショナリズムに対し、陸羯南、三宅雪嶺らは後向きの士族的ナショナリズムに相当する。

http://blogs.yahoo.co.jp/bashar8698/37729199.html



もちろん後向きと言っても低く評価しているわけではなく、雪嶺の先見の明は以前確認した所である。

http://blogs.yahoo.co.jp/bashar8698/39867988.html





陸羯南の「近時政論考」は自由民権運動時代の自由党、立憲改進党、帝政党の思想を分析したものである。



三宅雪嶺の時にも指摘した通り、征韓論を唱えたグループが下野して以後米仏の急進的な共和制を主張した自由党につながり、後に立憲改進党を作る大隈重信は征韓論に反対したというねじれ現象がある。



今さら何故このような事を言うのか、と訝しがる向きもあろうが、僕は攘夷から開国へ、そして征韓論から民権論へ、民権から国権へという激変の経緯とその思想的背景を追う事にこだわりたいのである。



それは島崎藤村の「夜明け前」に描かれた様に、少なくとも平田派国学者や攘夷派の志士の様に攘夷から開国への急転を「裏切り」と受け止める広範な(しかし一部の)世論があり、それが征韓論、西南戦争、玄洋社と「右翼の源流」へと繋がっているからである。



攘夷から開国へが政府の転向であるなら征韓論から民権へ、民権から国権へは民権運動の側の転向である。



そして神島二郎が問題にする「暗転」「欲望自然主義」が胚胎したとされる時期と場がまさにここなのである。