バッハの宗教曲が好きな俺、葉山俊司は
数週間前から奇怪な夢に悩まされていた。
若い魔女に追いかけられ魔界へ連れ去られる夢だ。
決まってバッハを聴いた夜に見るのだ。

黒いドレスを着た魔女はオデットに化けたロットバルトの如く
妖艶さと崇高さを漂わせていた。

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その夜も悪夢にうなされた俺は
翌日気分転換に近くの公園へ散歩に出た。

が、それは逆効果だった。

山道を登って少し疲れてベンチに腰を下ろした時
向こうのベンチにあの女がいた。
あの黒ずくめの魔女だ!
その瞬間の驚愕は言葉では表現できない。


だが話しかけてきた彼女は魔女ではなかった。
そう、魔女では、なかった。

彼女はカサンドラと名乗った。
神聖ローマ皇帝ホーエンシュタウフェン家の末裔だと言う。
帝国の歴史に異様に詳しい所を見ると嘘ではなさそうだ。
興味を持った俺は彼女を自宅へ招いた。


彼女の話す生い立ちはこうだ。
6歳の時から軍人の父親に家庭教師を何人もつけて育てられた。
その内の一人に文学と哲学を教えた青年教師がいた。
カサンドラは彼に恋をした。だが彼には妻子がいた。
彼女は苦悩し、そのたびに礼拝堂の簡易オルガンでバッハを弾いて心を慰めたそうだ。


「苦しい恋だったわ、 心中しようと思ったのよ」

「だけどできなかった?」

「いいえ、したわ」

「・・・・??」

「ある日、二人で飲む紅茶に毒薬を入れたの」

「・・・・それで?」

「上手く死ねたわ かなり苦しんだけれどね」

「・・・・・??」

「それから私は来世こそは彼と結ばれようと誓ったの」

「・・・・・」

「300年も彼の転生を追い続けたわ」

俺は次第に顔が青ざめていくのを感じた。

「まさか今生でも結婚していたなんてね」

「貴女が死んだのはいつだ?」

「1750年です」


青年教師の生まれ変わり
それが俺だった。



結局カサンドラは
自分を地中海の海底へ葬ってくれと頼んだ。



再び毒を飲む直前、
彼女は軍人の父が作ったという詩の一句を口ずさんだ。
それは滅びゆく神聖ローマ帝国の運命を悲しみ
帝国と心中する事を願う呪いの句だった。

「ただ廃墟だけが残ればいい、それ以外は何も残すな」
 

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