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興福寺の阿修羅像はあまりに有名である。

その微かに眉をひそめた、憂いを含んだ顔。それは童子の顔だ。
それは「修羅場」といった言葉から受けるイメージと全くかけ離れている。
そして3つの顔と6本の手。これは何を意味するのか?




阿修羅の起源は古く、最古のヴェーダである「リグ・ヴェーダ」にまでさかのぼれる。
神々はデーヴァ、それに刃向かう悪魔族がアスラと呼ばれる。
ところがイランのゾロアスター教では、アスラに対応するアフラ・マツダ が最高神で、デーヴァに対応するダェーウァが悪魔だ。


バラモン教とゾロアスター教で神と悪魔の地位が逆転している。
これはイランのゾロアスターの宗教改革の結果と見る説と、逆にインドでイラン神話に対抗して本来神であったアスラを悪魔の地位に落としたのだという説とがある。



ヴェーダでもアスラは絶対的な悪ではない。宇宙の秩序リタを守護するヴァルナや、契約の守護者ミトラもまたアスラの代表なのだ。
インドではイランほど善と悪の役割は固定的なものではない。


マハーバーラタの「乳海撹拌」の場面のように神々とアスラ達が協力し合う事もある。
後のヴィシュヌ神話ではヴィシュヌを信ずるプラフラーダがアスラを説教し改心させる。

この様にインドではアスラは表面的には悪魔だが、本来は善悪2面を持った存在と考える方が分かりやすく、後に仏教で仏陀の守護神となるのもバラモン教に既にそのモチーフの端緒がある。




アスラ族は金、銀、鉄で三つの都市を建設する。金の都市は天界に、銀の都市は虚空に、鉄の都市は地上に造られ、彼等は三都を支配して次第に傲慢になり人々を苦しめた。
そこでシヴァ神はヴィシュヌ(太陽光)とソーマ(アルコール)と
アグニ(火)で作った矢で三都を焼き尽くした。
ここではアスラは支配者の権力欲と傲慢を象徴する存在だ。


戦争神インドラと戦うヴリトラやナムチもまたアスラである。
インドラとアスラの戦いはラーマヤーナやマハーバーラタに何十回となく表れる。


美しい天女ティローッタマーを取り合ってアスラ同士で殺し合う事もある。

このティローッタマーが神々に挨拶をして右回りに回っている時、彼女の美しさに見とれたシヴァ神が首を回すと回した方向に新しい首が生えて、シヴァ神は4つの首を持つ様になったと言う。
(これと同じ神話がブラフマーとサラスヴァティーについても言われている)

後の阿修羅像の3面は(仏教学者は認めたがらないが)このシヴァ神やブラフマ神の4面に起源があると思われる。
阿修羅の3面は「男女の愛欲」という古層を引きずっているのだ。




仏教での阿修羅も古く、阿含経に阿修羅と帝釈天の戦いが記され、アビダルマでは修羅界が説かれている。

阿含経では阿修羅と帝釈天(インドラ)の争いの起源は、帝釈天が阿修羅の娘を誘拐し自分の妻とした事にあるとされる。

ここでは阿修羅は愛欲と嫉妬に関係する闘争神なのだ。




興福寺の阿修羅像は「金光明最勝王経」という大乗仏典の中の「夢見金鼓懺悔品」一節を表現していると言われている。

仏陀の座す前でバラモンが黄金色に輝く鼓を打つと、それが仏陀の説く詩となって聞こえ、その音楽と詩に眷属が聞き惚れ、仏陀に帰依するという内容である。https

その仏陀の詩は懺悔の重要性を説いている。

興福寺には非常に多くの仏像が置かれていたが、平安末の源氏と平家の戦争で放火されほとんど焼けてしまった。八部衆像は奇跡的に残ったのである。

焼け落ちる前は釈迦三尊像を中心に梵天、帝釈天、十大弟子、八部衆が周りを取り囲んで仏陀の説法を聞く配置になっていたそうだ。




上の様々な阿修羅伝説をふまえてこの阿修羅像を眺めてみよう。


権力欲と愛欲から神に対し果てしない闘争を繰り広げた阿修羅。
その阿修羅が仏陀の説法を聞いて怒りと欲が次第に静まり、眉間の皺が消えて童子の顔になっていく。
そしてこれまでの罪業を懺悔し仏陀に帰依する。
その瞬間をこの像は表現しようとしたのではないだろうか?