現代の少林拳の最も基本的な型である小洪拳を紹介しよう。

                

受け技、攻撃技とも掌底が多く、上段受けと下段払いや上段受けと肘打ちの同時技などが注目される。

突きの時に反対の手が空手の様に引き手をとるよりも反対の手も伸ばして突きの形になるのは八極拳で「十字勁」と言われるものである。
しかしこれは前に述べた様に、両手を縦横に振り回す昔の「長手」の名残りかも知れない。


この小洪拳を元に、より円的な動作に改良して作られた型が大洪拳である。






次は空手、特に沖縄の「那覇手」の元になった南拳を見てみよう。

東北地方で起こった女真族の清が明の帝都北京を陥落させた時、嵩山少林寺もまた、清朝の兵によって焼き払われた。僧侶達の多くは江南へと逃げていった。

江南は河川や運河が多く、僧の多くは船に隠れた。

彼等は台湾で清朝への抵抗運動を続けた鄭成功の軍の残党と合流し「反清復明」をスローガンとする秘密結社「天地会」を結成した。

その後、天地会は長江中流域に根を張る「哥老会」と合流し、「洪門会」と呼ばれる様になった。

この洪門会を基盤として南拳が生まれたのである。

ゆらゆらと揺れる船の中での生活は少林拳のスタイルを大きく変えていった。中原の広い平原で縦横にのびのびと飛び回り蹴り技を多用する動きは狭い船の中では不可能だった。

自然に大きな動きは姿を消し、どっしり構えた「騎馬立ち」と船のオールを漕ぐ時の形、「三戦立ち」(サンチンダチ)で、小さく拳を出すスタイルへと変化していったのである。

なお、今「南派少林拳」と言わずに「南拳」と言うのは、抵抗運動の拠点とされていた「福建少林寺」がフィクションであり、実際には存在しなかった、というのが定説になっているからである。

しかし最近それらしい遺跡が発見されたとのニュースもあり、今後定説が覆される可能性もある。もちろん僕は覆される事を期待している。

下の動画は南拳の中で最も大きい流派「洪家拳」の三つの型の演技である。古い南拳の型がこの様にはっきり残っていたという話しはあまり聞いた事が無いので、幾つかの伝承から近年になって復興させたものだろうと推察する。





現代の南拳は北派の要素をとりいれ、北派の華麗さと南派の重厚さを合わせ持った独特のスタイルとなっている。下のイケメンの動画で楽しんでもらいたい。(笑)


                   

型の初めに出てくる、左手の開手と右手の拳を合わせる動作は、自分が洪門会の会員である事を示す合図だと言われる。右手の拳が日、左手の開手が月、両手合わせて明を表すのである。