ドイツ・ロマン派の多くにある鉱物結晶への強い関心は日本の宮沢賢治にも共通する。
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そのとき私は はるかの向うにまっ白な湖を見たのです。

(水ではないぞ、また曹達(ソーダ)や何かの結晶だぞ。
いまのうちひどく悦んで 欺されたとき力を落しちゃいかないぞ。)
私は自分で自分に言いました。
それでもやっぱり私は急ぎました。


湖はだんだん近く光ってきました。
間もなく私は まっ白な石英の砂と
その向うに音なく湛える ほんとうの水とを見ました。


砂がきしきし鳴りました。
私はそれを一つまみとって 空の微光にしらべました。
すきとおる 複六方錐の粒だったのです。
( 石英安山岩か流紋岩から来た。)
私はつぶやくように また考えるようにしながら水際に立ちました。
(こいつは 過冷却の水だ。 氷相当官なのだ。)
私は も一度こころの中でつぶやきました。


全く私のてのひらは 水の中で青じろく燐光を出していました。
あたりが俄にきいんとなり、
(風だよ、草の穂だよ。ごうごうごうごう。)
こんな語が 私の頭の中で鳴りました。
まっくらでした。まっくらで少しうす赤かったのです。


私はまた眼を開きました。
いつの間にかすっかり夜になって 空はまるですきとおっていました。
素敵に灼きをかけられて よく研かれた鋼鉄製の天の野原に
銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の砂も
一つぶずつ数えられたのです。


またその桔梗いろの冷たい天盤には
金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒や
あるいはまるで けむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまで
ごく精巧のピンセットできちんとひろわれ きれいにちりばめられ
それはめいめい 勝手に呼吸し 勝手にぷりぷりふるえました。


私はまた足もとの砂を見ましたら
その砂粒の中にも黄いろや青や小さな火がちらちらまたたいているのでした。 恐らくはそのツェラ高原の過冷却湖畔も天の銀河の一部と思われました。


けれどもこの時は早くも高原の夜は明けるらしかったのです。
それは空気の中に 何かしらそらぞらしい硝子の分子のようなものが
浮んできたのでもわかりましたが
第一東の九つの小さな青い星で囲まれたそらの泉水のようなものが
大へん光が弱くなりそこの空は早くも鋼青から天河石の板に変わっていたことから実にあきらかだったのです。


その冷たい桔梗色の底光りする空間を一人の天が翔けているのを私は見ました。
(とうとうまぎれ込んだ、人の世界のツェラ高原の空間から天の空間へふっとまぎれこんだのだ。)
私は胸を躍らせながら斯う思いました。

天人はまっすぐに翔けているのでした。
( 一瞬百由旬を飛んでいるぞ。けれども見ろ、少しも動いていない。少しも動かずに移らずに変らずにたしかに一瞬百由旬ずつ翔けている。実にうまい。)
私は斯うつぶやくように考えました。


天人の衣はけむりのようにうすくその瓔珞は昧爽の天盤からかすかな光を受けました。
(ははあ、ここは空気の稀薄が殆ど真空に均しいのだ。だからあの繊細な衣のひだをちらっと乱す風もない。)
私はまた思いました。



天人は紺いろの瞳を大きく張ってまたたき一つしませんでした。
その 唇は微かに哂いまっすぐにまっすぐに翔けていました。
けれども少しも動かず移らずまた変りませんでした。
(ここではあらゆる望みがみんな浄められている。 願いの数はみな寂められている。 重力は互いに打ち消され冷たいまるめろの匂いが浮動するばかりだ。だからあの天衣の紐も波立たずまた鉛直に垂れないのだ。)


けれどもそのとき空は天河石からあやしい葡萄瑪瑙の板に変わり
その天人の翔ける姿をもう私は見ませんでした。
(やっぱりツェラの高原だ。ほんの一時のまぎれ込みなどは結局あてにならないのだ。) 
斯う私は自分で自分に誨えるようにしました。けれどもどうもおかしいことはあの天盤のつめたいまるめろに似たかおりがまだその辺に漂っているのでした。そして私はまたちらっとさっきのあやしい天の世界の空間を夢のように感じたのです。

(こいつはやっぱりおかしいぞ。天の空間は私の感覚のすぐ隣に居るらしい。みちをあるいて黄金いろの雲母のかけらがだんだんたくさん出て来ればだんだん 花崗岩に近づいたなと思うのだ。
ほんのまぐれあたりでもあんまり度々になるととうとうそれがほんとになる。きっと私はもう一度この高原で天の世界を感ずることができる。)
私はひとりで斯う思いながらそのまま立っておりました。そして空から瞳を高原に転じました。 全く砂はもうまっ白に見えていました。 

湖は緑青よりももっと古びその青さは私の心臓まで冷たくしました。