天照大神の天の岩戸事件はギリシャ神話のデメテルとの類似性が指摘される。http

デメテルは大地母神、天照大神は太陽神だが、女性性を侮辱された事への怒り、悲しみで隠棲し、その結果農業が壊滅する。

インド神話でも類似した、しかしある意味では対照的なストーリーがある。インドラの失踪事件である。
まず上村勝彦氏の「インド神話  マハーバーラタの神々」を参考にストーリーを要約しよう。









造物主のトヴァシュトリはインドラを憎んで、ヴィシュヴァルーパという息子を創造した。ヴィシュヴァルーパは三つの頭を持ち、一つの口でヴェーダを学習、二つ目の口で酒を飲み、三つ目の口で世界を飲み込むかに見えた。ヴィシュヴァルーパは日夜苦行に励み、苦行をすればするほど魔力が増していった。

ヴィシュヴァルーパの魔力に脅威を感じたインドラは苦行を邪魔するため、天女アプサラスたちに色仕掛けで彼を誘惑させたが全く効果が無かった。


ついにインドラはヴァジュラを投げてヴィシュヴァルーパを殺した。しかしヴィシュヴァルーパは死んでも光(テジャス)を放ちインドラを恐れさせた。インドラは最強戦士と言ってもクシャトリヤであり、ヴィシュヴァルーパはバラモンのトヴァシュトリの息子である。「バラモン殺し」という罪がインドラを恐怖に陥れた。


インドラは近くの樵(きこり)に、ヴィシュヴァルーパの頭を切断させた。すると三つの頭から山鳥と雀とシャコ(キジの仲間)が飛び立った。


息子を殺されたトヴァシュトリは烈火の如く怒り、インドラを殺すために火中に供物を投じて悪魔ヴリトラを創造した。ヴリトラはトヴァシュトリの苦行によって巨大な蛇の姿に成長し、その巨体で山の洞窟に世界中の水を閉じ込め旱魃を起こしたと言われる。

インドラの率いる神の軍とヴリトラ軍の戦いは総じてヴリトラの方が優勢だった。ヴリトラはインドラを飲み込んだが神々はヴリトラにあくびをさせ、口が開いた隙にインドラは辛うじて脱出した。


劣勢の神々はヴィシュヌ神に相談した。ヴィシュヌはヴリトラと一旦和平を結んだ後、術策を用いて殺せと忠告した。
神々とヴリトラは和平条約を結び、「乾いたものや湿ったものによっても、岩や木によっても、通常の武器によってもヴァジュラによっても、昼も夜も、インドラと神々はヴリトラを殺してはならない」事が約束された。


しかしインドラはヴリトラを殺す方法を考え続けた。ある日の黄昏(或いは夜明けとも言われる)インドラは海辺でヴリトラを見た。その時は夜でも昼でもない。海上には、山のような泡が現れた。それは乾いても湿ってもいない。そこでインドラはその泡をヴリトラに向かって投げつけた。ヴィシュヌがその泡に入り込みヴリトラを殺した。

ヴリトラの死によって水が解き放たれ速やかに海へと流れて行った。



またインドラとヴリトラの戦いは次の様にも伝えられている。
ヴリトラとその周りを取り囲む巨大な悪魔軍は天地を覆い、悪魔達は黄色い鎧を身につけ鉄棒を振りかざして神の軍を襲った。神軍は劣勢になって退却し、ヴィシュヌの威光(テジャス)をインドラに注入したが、ヴリトラは天地を振動させインドラは恐怖に駆られてヴァジュラを投げつけて逃げ出した。ヴァジュラはヴリトラに当たりヴリトラは死んだ。しかし逃げ出したインドラはヴリトラが死んだ事を知らなかった。

結局インドラはヴィシュヴァルーパとヴリトラというトヴァシュトリの二人の息子を殺した事になる。その後インドラはバラモン殺しの罪の大きさに恐れおののき、或いはヴリトラを偽りの和平条約で騙して殺した事、或いは途中で逃げ出す様な無様な戦い方を恥じ、その後、鬱状態となり姿をくらました。


インドラが失踪すると大地は荒廃した。雨は降らず河川や池は干涸び樹木は枯れた。神々は世界が滅びる事を恐れ相談した結果、ナフシャという人物がインドラに代わって神々の王になった。ナフシャのストーリーはまたテーマが違ってくるので省略する。

インドラの妻インドラーニーは夜の女神ウパシュルティに導かれ遠い北方の池の蓮の茎の中に隠れているインドラを発見する。神々はそこへ行ってインドラの過去の業績を讃え、讃えられる事でインドラは次第に力を取り戻し、再び天界に戻って王位に就いた。





このインドラの失踪のストーリーを上村氏は「神々の王インドラでさえ、バラモン殺しの罪を犯したら、長年の間、力を失って身を隠さねばならなかった」つまりクシャトリヤに対するバラモンの優越を説く話と総括している。

しかし僕はこのストーリーにはもっと別の意味が隠されている様に感じるのである。


インドラがヴリトラを殺し、その後「強い怖れにとらわれる」モチーフはリグ・ヴェーダに既に現れ非常に古いモチーフであるが、その根拠がバラモン殺しからくる罪意識であるとはリグ・ヴェーダには書かれていない。

一方で和平を偽装して騙したストーリーは、叙事詩より古いと見なされるブラーフマナ文献ではインドラがアスラのナムチを殺すストーリーになっていて、そこから転用された事が明らかである。

ここからインドラの恐怖、意気消沈の原因が「バラモン殺し」を犯したり「騙し討ち」をした罪の意識であるというのは叙事詩の時代にこじつけられたモチーフではないか? という疑いが生ずるのである。

そもそもインドラは神の総大将である。クシャトリヤというのはおかしい。バラモン達の儀式は神を喜ばしその力を借りるためのものだ。バラモンより神の方が上の存在ではないか?  
ここに疑問を感じるのが普通だろう。







インドラがヴリトラに脅威を感じた「苦行による魔力」はインド神話にしょっちゅう出てくるモチーフである。これはインドの先住民族ドラヴィダ人のヨーガ文化、その魔術的効果に対する征服民族アーリヤ人の怖れや対抗心が反映されていると考えられている。クシャトリヤのバラモンに対する怖れではない。


ドラヴィダ文化は母権的だったと言われている。
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モヘンジョ=ダロやハラッパー遺跡に多くの女性の粘土像が残っている事がその根拠のようである。

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ネットには残念ながら少数の資料しか見当たらないが、クシティ・モーハン・セーンの「ヒンドゥー教」(講談社現代新書)によればこの種の女性の粘土像はインダス文明の遺跡で無数に見られ「大地母神(デーヴィー)崇拝や精神力(シャクティ、性力)を持つ母神崇拝もこの文明から発したものであろう」と推測している。(p.58)

ドラヴィダ文化の母権的性格は松岡正剛氏も指摘している。 https

このインドラの鬱と失踪の物語には僕はドラヴィダ文化を破壊、或いは隷属させたアーリア人の罪意識や怖れを感ずるのである。
 





インドラとヴリトラの戦いはリグ・ヴェーダの重要なモチーフだが、ヴリトラは後に蛇神ナーガの眷属とされる。

神話における蛇と地母神の関係については前に暫定的結論を出した。 http
それは次の様な相互に関連する重層的イメージをなしている。



① 牧畜の牛に対しては水田農業
② 高度な灌漑農法に対しては原始的な湿地帯の自生植物
③ 原初のカオス、「畏怖と恐怖」「罪と穢れ」の未分離
④ 水神、蛇行する川(特に龍は氾濫する大河)
⑤ 大地母神の守護神、或いは大地母神の復讐、母権制の復讐法
⑥ ウロボロス、グレートマザーの両義性(保護と呑み込み)


インドの仏教学者、ナレシ・マントリ氏は牧畜社会が男神信仰、初期農業社会が女神信仰が支配的であり、アーリア社会とドラヴィダ社会もそれに当てはまるとしている。  https

アーリヤ人が牛を生贄に捧げる牧畜・遊牧の民で父権的であり、ドラヴィダ人が母性信仰を持っていたとすればこれはギリシャ世界と同様に典型的な牧畜ー父権ー牛、農耕ー母権ー蛇というパターンに当てはまる例だと考えられる。



インドのナーガは中国の龍と同じく川の意味も元来持っており、ナーガの女性形ナーギィは今も川を意味する。
インダス河は毎年6月~8月の雨期に氾濫し、水が引いた後に肥沃な沖積土が堆積する。古代エジプトにおけるナイル川の様に氾濫が地味を肥やす役割を果たした。  https

インドラとヴリトラの戦いは自然の循環を象徴しているとも言われ、乾季の旱魃の後に来る雨期、冬のヒマラヤの氷河を太陽が溶かして河の流れとなる様などを象徴するとも言われるが、ここではアーリア文化とドラヴィダ文化の葛藤という観点を貫いてみたい。

蛇は湿地帯に棲み、農業に害を与える蛙や鼠を食べる農業の守り神である。

またドラヴィダ人のヨーガ文化はクンダリニーの覚醒を目指す。クンダリニーは尾底骨にトグロを巻いて眠っている蛇である。覚醒した蛇はチャクラを開きながら背骨の中を登って頭頂から突き抜ける。


インドのナーガはドラヴィダ人にとって農業の守護神であると同時にヨーガ文化、呪術の象徴でもあるわけだ。




ドラヴィダ文化とアーリヤ文化は初めは対立したが次第に融合していく。また川の氾濫も元来農耕に欠かせないものであるとすれば神とナーガの関係も次第に敵対的なものから融和的なものへ変化していくのが自然の流れだろう。







神と蛇の関係が敵対から和解へと変化していく過程を見てみよう。



インドラとヴリトラの戦いは「バーガヴァタ・プラーナ」の中でクリシュナとカーリヤの戦いとして繰り返されるが、クリシュナはより寛容だ。Wikipediaから引用する。

カーリヤは一族とともにヤムナー川に棲んだが、カーリヤの猛毒は川の水を煮えたぎらせ、毒気を含んだ熱風を起こした。そのため付近の植物は枯れ、鳥獣は死んだという。
あるときクリシュナはヤムナー川にやってきた牛飼いたちが毒に倒れるのを見てカーリヤに戦いを挑んだ。カーリヤは長い胴体でクリシュナを絞め殺そうとしたが、体の大きさを自在に変化できるクリシュナは自分の体を大きくしていったので、カーリヤは体がちぎれそうになってクリシュナを放した。クリシュナがカーリヤの頭に飛び上がって踊りだすと、なおも攻撃を仕掛けたが、そのたびにクリシュナはカーリヤの頭を踏みつけて次々と頭をつぶしていった。自らの体内に宇宙を持つクリシュナの重さは半端ではなく、カーリヤはその重さに耐えかねて血を吐き、川底に沈んでいった。
しかしカーリヤの妃が命乞いをしたので、許されて、かつて住んでいたマラナカ島に帰ることを命じられた。こうしてカーリヤとその一族はヤムナー川を去り、川の水は清浄になったという。


カーリヤは妻の命乞いで死を免れマラナカ島への追放だけで許される。


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 カーリヤの頭の上で踊るクリシュナ





ヒンドゥー教の中で信仰の中心は次第に雷神インドラと火神アグニからヴィシュヌとシヴァに移っていくが、この二神は蛇と仲が良い。


ヴィシュヌ神は竜王アナンタの上で眠っている。
ヴィシュヌ信仰にとって世界はヴィシュヌが目覚めるまでの夢に過ぎない。

            
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          竜王アナンタの上で眠るヴィシュヌ神(エローラ寺院)





一方でシヴァ神は首に蛇を巻き付けている。

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また乳海撹拌では大蛇ヴァースキが引っ張られて苦しみのあまり大量の猛毒を吐き世界が毒で焼かれそうになったのでシヴァ神がそれを飲み干したとも言われる。

青黒いシヴァ神の身体はドラヴィダ人を連想させる。またシヴァ神がヨーガの創始者であると言われる点もドラヴィダ文化との深い関係を示唆している。さらにシヴァ神自身がもともと蛇神だったのではないかと推測する学者もいる。



南インドのハレービードゥにあるホイサレシューヴァラ寺院のインドラ像はナーガを踏みつけながらナーギィを抱き寄せようとしている。この寺院は12世紀ホイサラ王朝のヴィシュヌヴァルダナ王がラーマーヌジャに師事しヴィシュヌ派に改宗して建てたと言われている。

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また密教の忿怒尊やマントラ(真言)もドラヴィダ文化が混淆したものと言われている。http

以上の様々な資料から、父権的なアーリア文化と母権的なドラヴィダ文化が初めは敵対関係にあったが、次第に混合しタントラや密教になっていった。それが神話においても蛇との敵対から和合への変化に象徴されていると言えそうだ。







この様な前提に立つとインドラの失踪もまた違った様に見えてくる。最後にインドラは他の神々に賞賛される事で復活していく。
という事は逆に言えば彼は一時周囲の支持、尊敬を失ったのだ。
ここに何があったのだろうか?

ここで僕は「ヨーガの達人が心霊的現象を引き起こす能力を持つ」という事を前提に考えてみたい。これはほとんどの神秘主義者にとっては至極当たり前の事である。


アーリア人は鉄器文化で武器の出土が多い事から好戦的であった事が知られる。彼等はドラヴィダ人を支配し、自分たちのイラン的な火の宗教を押し付け、ドラヴィダ社会とその水の宗教を奴隷の地位に貶めた。

アーリア人の横暴はインドラがトヴァシュトリのソーマを全部飲んでしまいトヴァシュトリの恨みを買ったストーリーなどに痕跡が残っている。
インドラがヴリトラを殺すと堰き止められていた水が世界に流れたモチーフもモヘンジョ=ダロの高度な貯水設備をアーリア人が破壊した事を表すとの解釈もある。

アーリア人の軍事力に圧倒されたドラヴィダ人は報復として心霊的攻撃を仕掛けただろう。アーリア社会に疫病が蔓延し、王族や軍人、バラモンが悪夢に悩まされた。また大洪水で農業が全滅しアーリア人から先に饑餓に苦しんだ。またドラヴィダ人はスパイを使ってアーリア人の中で部族衝突が起こり内戦になるように仕向けた。

アーリア社会は恐怖に包まれドラヴィダ人に残酷な仕打ちをした将軍に批判が集中した。将軍は失脚しドラヴィダ人との間に和平条約が結ばれた。

実際はこんな劇的な展開ではなかったかもしれない。しかしインドラの失踪のテーマには「軍の総大将が周囲の支持を失い、非難を浴び、失脚した」という事実があると僕は想像する。ドラヴィダ人の心霊的攻撃でアーリア社会はかなり窮地に陥ったのだ。そうでなければわざわざ英雄の失敗談や失踪を神話に残したりしないだろう。





これで大まかな説明はついたと思うが、まだスッキリしない点が残っていると僕は感じている。

一つは天照大神の岩戸隠れやデメテルの失意と彷徨が被害者の怒り、悲しみであるのに対し、インドラは加害者の罪の意識である事だ。

マハーバーラタでは「バラモン殺し」という名の女神が取り憑く様にも描かれ、母を殺したオレステスに取り憑くエリニュスを彷彿とさせる。https

この天照大神~デメテルのパターンとインドラ~オレステスのパターンの違いに何か大きな問題が隠されている様に感じる。



もう一つはインドラがハスの茎に隠れていた事の意味である。

ハスは濁った泥水の中に根を張り美しい花を咲かせる事から汚れた世間の中で美しい心を保って健気に生きていく人、特に女性に喩えられる。しかしそれだけでなくハスは泥水が濁っているほど花が大きくなると言う。綺麗な水では小さな花しか咲かせないそうだ。 https



蓮子の茎に潜ったのはインドラだけではない。ヴィシュヌ神やブラフマ神もそうだ。マハーバーラタの神話から要約しよう。

ヴィシュヌ神は四千ユガの間、大蛇アナンタを寝台とし海の上で眠り続けた。その後ヴィシュヌの中にラジャスの影響で創造意欲が生まれた。創造意欲は臍からハスの花となって咲いた。それはローカ・パドマ(世界ハス)と言われる。ヴィシュヌ神はその中に入った。

花の上にブラフマ神が生じた。ブラフマ神は辺りを見渡したが海しか見えず「ハスの上にいる自分は誰なのか? このハスは何処から生えているのか?」と疑問を持ち、ハスの茎に入ってみたが何も見えなかった。そこでハスの花の上で瞑想をし、大蛇の上に眠るヴィシュヌ神とその臍から生じたハスを観じた。全てを悟ったブラフマ神はヴィシュヌ神を讃え、ヴィシュヌの使徒となって世界を創造した。

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    大蛇アナンタの上で眠るヴィシュヌ神の臍から生じたハスとそこから生まれたブラフマ神



極微の中に極大がある華厳哲学的世界は同じ幻想的神話でも北欧神話などには全く見られない発想である。ハスはここでは空間的大小関係をひっくり返す魔術的象徴だ。ハスの茎の管を通ってヴィシュヌはブラフマへ、ブラフマはヴィシュヌへ入れ替わる。それはまるで並行宇宙を繋ぐワームホールの様だ。

インドラの失踪でも同様に、ハスは弱肉強食の世界と静かな自省の世界を繋ぐワームホールである。

ここにもっと秘められた意味があると僕は感じる。しかしそれはまた時間をかけてアイデアが熟成するのを待つとしよう。