「形の心理」について思いつきを書いてみようと思う。
これは神秘主義のブログにしては恥ずかしいくらい安っぽく浅薄な思いつきかもしれないが、美術を鑑賞する時に少なくとも僕は無意識のうちに持っている感覚である。


まあ以前書いた風土論の延長の様なノリで書いてみよう。その内これがオーラソーマやローズシートなどの霊的色彩学やオルゲルビュヒラインの霊的音階論などと繋がる可能性も無くはない。

cf.  風土論   
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   ローズシート    
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  オルゲルビュヒライン  
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① 凸面と凹面

伝統的な建築様式には民族文化の言葉に現れない無意識的な嗜好、美意識が現れる場合がある。興味深いのは屋根を丸く凸面にしようとするイスラム・モスクと、逆に凹型に反らせようとする東アジアの寺院の対照である。凹型に反らせるのは儒教文化圏とも言い換えられる。



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インド・イスラム式(左)と東アジア式

ここで僕のぶっ飛び仮説なのだが、この屋根の美学の差は民族の眼の形と関係ありそうな気がするのである。凸型屋根の寺院を好む民族は眼が丸く大きいのだ。凹型屋根の東アジアでは眼が細い。また精神的には凸型は幻想的思考、凹型は実利的思考と関係ある気がする。


② 凹面の反らせ具合

凹型の反り加減にはまた別の要素が入り込む。
この凹型屋根の反らせ方は中国では激しく、日本はもっと微妙な反り方で朝鮮はその中間くらいである。

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左は武漢の黄鶴楼、右は興福寺五重塔

これは刀に関しても中国の大きく反った青龍刀と微妙な反り方をする日本刀の違いに似たような傾向が現れている。この曲線の曲がり方は激情ー淡白という二極性と繋がっている様に思われる。日本人は中国人に較べて何事にも淡白だ。


③ 高遠と平遠

以前、中国山水画で高遠、平遠の別を書いた。  http

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  范寛の高遠(左) 李成の平遠(右)

この高遠と平遠にはやはり精神構造が現れている様に思われる。高遠は闘争的で平遠は柔和、クレッチマーの3分類で言えば高遠は強迫神経症気質(筋肉質)で平遠は躁鬱気質(ポッチャリ型)と関係してくるかもしれない。日本人は圧倒的に躁鬱型が多い。それは日本の皇居の風景が典型的な平遠になっている事と関係あると僕には思われる。

 

④ 明瞭な輪郭とぼかし

絵画において輪郭がはっきりしている描き方とワザとぼかす描き方がある。ミケランジェロとダヴィンチ、フィレンツェ派とヴェネチア派などに典型的に現れている。ヴェルフリンはこれをルネサンスとバロックの対照的性格の一つとし、僕はそれをルネサンス絵画のイデア的性格と考えた。http

この問題は床にワックスを塗る時の重ね方に似ている。ワックスを3回も重ね塗りすると光の反射がぼやけて深い輝きになる。
 
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ボカシは自然の神秘を何重にもヴェールに覆って表に出さない事だ。神秘主義、ロマン派は自然の奥底まで理性の光が到達するのは不可能と考え、啓蒙主義者はいつかは自然の全てが科学的に明かにされると信ずる。