だいぶ頭が混乱して暗礁に乗り上げていたのだが(笑)分かった事から書いていこうと思う。
4世紀にサーンキャを集大成したイーシュヴァラクリシュナは二元論、ヴェーダーンタを完成した8世紀のシャンカラは一元論(不二一元論と呼ばれる)、同じヴェーダーンタでもヴィシュヌ派を統合しようとした11世紀のラーマーヌジャの限定不二一元論は少し二元論に接近する。そしてシヴァ派では前回書いたように聖典シヴァ派が二元論的であり、カシミール・シヴァ派はシャンカラの影響を受けて不二一元論の立場に立つ。
<キリスト教との相似>
インドの一元論と二元論は究極の存在(プルシャ、ブラフマン、シヴァ神、ヴィシュヌ神)と個我が同じものか違うものかという問題である。従ってそれはヨーロッパの「神と人間の距離」という神学的テーマ、また仏教における「自力本願と他力本願」のテーマとも重なる面があるはずだ。
神仏と人間が近ければ原始仏教や禅宗のように人間の自力の努力による救済が可能となり易く、遠ければ浄土真宗のようにもっぱら神仏の慈悲、恩寵にすがって助けてもらうしかなくなる。キリスト教ではペラギウスが前者、ルターやカルヴァンが後者の代表だろう。
ヒンドゥー教でも同様で個我とシヴァが本来同じである事を強調すれば自力のヨーガや利他的行為(これもカルマ・ヨーガと見ればヨーガの一種である)による救済の道が開け、最後は個我はシヴァと一体となりシヴァに溶解する。カシミール派はそう主張した。
個我とシヴァが違うのであれば自力のヨーガよりシヴァへの親愛(バクティ)を強調し、最後はシヴァの恩寵で救ってもらい、それでもシヴァと一体となるのではなくシヴァと「結合する」だけである。聖典シヴァ派がそうである。神と人間の距離を強調したプロテスタント諸派が善行の役割を否定し「信仰のみによる義認」を強調したのと似た論理である。
部分的にはこの様にヴェーバー〜ボルケナウ的な理念型で説明できる部分もあり、シヴァ派の流れを大きく見れば一元論のカシミール派の方がシャクティ派を取り込んでタントラ・ヨーガを発達させたのだが、ここで混乱するのがバラモン教学においては二元論的なサーンキャの方がヨーガと結びつき、一元論のヴェーダーンタは少なくとも論理的にはヨーガと関係ないという事実である。
中国の南宗禅の様に瞑想の果てに「主客一体」の境地に辿り着き、或いは唯識派の様に外界の現象は全て心の産み出した幻想であると結論し、そこから梵我一如の論理と繋がるという道筋がありそうな気がするのだが、何故かヴェーダーンタはその道を辿らずウパニシャッドの解釈学に終始した。
シャンカラはブラフマンの不変、単一性を主張しサーンキャの開展(パリナーマ)説も否定した。
一方ヨーガの修行者はタントラにおいてもサーンキャの開展(パリナーマ)説を継承しそのプルシャを人格神化する、或いはプルシャの上位にシヴァやヴィシュヌが乗る形で理論を形成した。
これは不二一元論のカシミール派でもそうなのである。だからカシミール派は宇宙の存在論としてはシャンカラ派だが細かい理論構造はむしろサーンキャを継承しているのだ。
この「ねじれ」現象のためにこの間頭が混乱し、整理に時間がかかったのである。
シャンカラは何故ヨーガとヴェーダーンタを論理的に統合しようとしなかったのか?
伝説によるとシャンカラは仏教的になっていたヴェーダーンタを正統派バラモン教学の側へ戻そうとしたと言われている。この辺の詳しい資料はないのだが、ヴェーダーンタが接近した仏教とは恐らく「仏性の遍在」を主張した如来蔵思想や、アーラヤ識のさらに背後にアマラ識を想定した無相唯識派だろうと思われる。最近の研究では密教ヨーガの修行ではむしろヒンドゥー教より仏教が先んじていたとも言われている。
これは憶測だが、シャンカラはヴェーダーンタとヨーガを結合する事で仏教に取り込まれる危険を感じたのかもしれない。或いはシャンカラは学者タイプでヨーガの修行においては悟る境地にまで到達していなかったのかもしれない。
しかしこの二元論のサーンキャがむしろヨーガと結びつき、シヴァ派では一元論のカシミール派がヨーガと密接に結びつく「ねじれ」現象はバラモン教学が非人格神である事、及びヨーガの性質が古典ヨーガからクンダリニー・ヨーガへ変わった事も関係あるかもしれない。
これはまた次回以後に考える事にする。さしあたってシヴァ派ではタントラ・ヨーガは一元論のカシミール派で発達した事を確認するにとどめる。
<キリスト教との違い>
インドの二元論は古典ヨーガの体験に依拠している事からくる独特の性格を持っている。それは究極の純粋精神プルシャが静的、観照的な性格を持ち、原物質プラクルティに働きかけたりしないという事だ。(この点は一元論のヴェーダーンタも同じで、アートマンは何物にも限定されない主体ではあるが、行為しない、無行為の主体である。)
従って「主体」と言ってもヨーロッパの「subject」とはかなりニュアンスが違ってくる。ヨーロッパでは第一原因は神だが、サーンキャでは第一原因は物質原理プラクルティの側にある。プルシャはプラクルティを観照し、享受するのみである。
サーンキャでもブッディ→アハンカーラ→マナスと開展(パリナーマ)が進むとプルシャとプラクルティは結合しプルシャも輪廻に巻き込まれる事になる。しかしこれもプラクルティから開展したものがプルシャを包み込む形で巻き込むのであり、輪廻するのはプルシャではなくプラクルティから生じた「微細な有機体」である。プルシャはこの微細な有機体に「宿り」、老死を原因とする苦悩を「享受」する。この「微細な有機体」をプルシャであると錯覚し、プルシャが輪廻している様に錯覚するのである。(この点は輪廻するアーラヤ識をアートマンと錯覚する唯識派仏教と相似である。)
これに対しシヴァ、ヴィシュヌは人格神であり、世界の創造、維持、破壊を全て取り仕切る「主宰神」(イーシュヴァラ)である。これは「全知全能の神」とほぼ同義である。
人格神となるとまた問題が違ってくる。キリスト教と同様の神義論的テーマが生じるからだ。神が世界を作ったのなら、世界の悪と不幸に関して神が責任を負わねばならない。
しかし何故かシヴァは人格神だがサーンキャのプルシャと同様、静的で観照的であるとされるのである。静的な神がどの様に世界を取り仕切るのか?
ここにシヴァと物質界を仲介する存在としてシャクティが現れる必然性がある。
<聖典シヴァ派とカシミール・シヴァ派の違い>
シヴァ派は最初期のパシュパタ派の頃から一元論と二元論の間で揺れており、救済の方法として自力のヨーガの修行とグルによるイニシエーション(ディークシャー)の二本立てになっている。
聖典シヴァ派とカシミール・シヴァ派の比較はこの資料に分かりやすく説明されている。
二元論的な聖典シヴァ派では先ず自力のヨーガの修行によって善なるカルマを積み、それが原初の汚れ(mala)と釣り合うほどになった時点でグルによるイニシエーション(ディークシャー)を受け一気に解脱する。イニシエーションはシャクティーパットと呼ばれる秘儀を伴っている。シヴァの神秘的な力がシャクティーとなって降下するのである。このイニシエーション無しでは何者も解脱できない。
これに対し不二一元論のカシミール派では或る種の人達はほとんど自力で解脱できると言う。論理的な瞑想で、或いは超越的直観によって、或いはグルの一言の暗示で頓悟する場合もあり、聖典シヴァ派より方法の幅が広い。
カシミール派にもシャクティーパットは有るが、それはイニシエーションの儀式と同時に或いはむしろ儀式の前に「起こる」とされている。弟子はその時、振動したり毛が逆立ったり気絶、或いは死亡する事もある。
儀式は聖典シヴァ派よりも詳しい解説が記録されている。それによればグルが弟子の身体を指で指しながらマントラを唱える。マントラは言葉として現象しているが本質はシヴァに任務を与えられた多数のアートマンである。そして身体全体がマントラと化す。
これは象徴を介して宇宙を内部化し宇宙と人体を同一化させているのである。そう言えば中国の経絡学でもツボの名は本来はそこに住む神の字(あざな)だったという話を聞いた事がある。この象徴による宇宙エネルギーの内部化、それによってブラフマンとアートマン、大宇宙と小宇宙の一致を身体生理として実現する霊的生理学とも言うべき世界が出現する。

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