IMG_1127



重信房子の「革命の季節 パレスチナの戦場から」を読んだ。

僕は赤軍派のシンパじゃないし左翼ですらない。パレスチナ問題・中東問題に関しても今では世俗派のPLOよりもハマス、ヒズボラなどイスラム主義の運動に共感している。

ただ重信房子の存在は僕の中でマルクス主義や左翼を超えた普遍性を持つテーマを提起し突きつける特殊な存在なのだ。(同じ意味で頭山満や三島由紀夫もそうなのだが)



重信氏のグループが日本を離れパレスチナに活動拠点を移したのは1971年2月、赤軍派の別グループがよど号をハイジャックし北朝鮮へ向かった1年後だった。どちらも同じ「国際根拠地」論に基づいていた。そして日本に残ったグループは京浜安保共闘と合体して連合赤軍となり凄惨な大量リンチ殺人事件を起こして壊滅した。


「根拠地(解放区)」自体は毛沢東の戦略に基づいている。毛沢東軍は国民党軍に押され退却しながら西から北へと少しずつ方向転換し最後には延安を根拠地とした。

僕はマルクス主義者ではないので寧ろ毛沢東のマルクスからはみ出た部分に興味がある。彼は疑いもなく中国史の「大人」(たいじん)の系譜に連なる人物だ。

彼の「農民革命」「農村から都市を包囲する」戦略はロシアのナロードニキや日本の農本主義者に近いものを感じるし、「辺境に根拠地を作る」発想は都市の労働者を革命の主体とするマルクスの理論から大きく外れ、むしろ水滸伝の梁山泊を思い起こさせる。また彼のゲリラ戦術は古くからの「遊侠」「緑林」の戦術だ。

アメリカでもヨーロッパでも世界中の新左翼が毛沢東の影響を強く受けた。ブラックパンサーのヒューイ・ニュートンも中国を訪問し周恩来と会談している。
戦後アメリカの「共産主義封じ込め政策」さえもが毛沢東の長征戦略にヒントを得たという説もある。


毛沢東の根拠地で地主制の廃止、農地の分配が行われていなかったら彼の根拠地はただの「休息地」に過ぎない。根拠地論は「革命後の青写真は前衛党の頭の中の予定表ではなく、現実に場所的に革命以前から実現されていなければならない」という発想を含むかなり意味深長なものだ。

これは僕の見方ではブラックパンサーの「インターコミューナリズム」のヒントともなっており、さらに極論すれば「ローマ帝国の内部に神の国を浸透させる」というアウグスティヌスや「最後には修道院が教会にとって代わる」というフィオーレのヨアキムの政治神学にも通ずるものである。敵の内部に内側から浸透し、細胞を増やしていくのだ。


**********************************
 

大衆から孤立していく日本の新左翼に失望しパレスチナゲリラと共闘する道を選んだ重信房子。見事であっぱれな生きざまだと思う。公安警察の中にさえ重信房子の「隠れファン」が何人もいるそうだ。

半分は時代がそうさせたのだろう。僕はマルクス主義を信奉しないし、ましてテルアビブの空港での無差別殺人やハイジャックという方法を決して支持しないが、それは今の日本だから言える事であり、全共闘の時代に大学生だったら、或いはパレスチナで生まれ育っていたらどうなったか分からない。


**********************************



ただこの「根拠地論は政治神学である」という主張だけなら、もう少し思想が熟してから記事にしただろう。今日この記事を書かずにいられなかったのは、この書の中に次のような一文を見つけたからである。(kindle版 p.45)

「肌の色が変わっても生きていく人の姿に変わりはない」と、事情をよく知っている友人に決断を明かし・・・

!!!

加藤登紀子の曲「あなたの行く朝」の間奏での語りの言葉ではないか!



加藤登紀子の歌う「あなた」とは重信房子であり「見知らぬ国」とは国際根拠地としてのパレスチナだったのだ。

加藤登紀子は自分でこの歌の解説を書いている。
https
これを見るとその後「あなた」には亡くなった夫や友人の姿も重ねられていったのかもしれない。しかし加藤登紀子に「肌の色が変わっても生きていく人の姿に変わりはない」と語ったのは間違いなく重信房子だったのだ。



あらためてこの歌に込められた、日本という国を一旦捨てる決意の重さ、その重さゆえの爽やかさを思う。今後この歌を聴くたびに僕は下の写真を思い出さずにはいられないだろう。


IMG_1128