風に揺れる木の葉を通して光が教会の鐘の音のように神秘的な響きをかもし出す。
光が鐘の音に聞こえるのか、鐘の音が光のきらめきに見えるのか、おそらく両方なのだ。
「共感覚」はドイツロマン派と同様、ドビュッシーにとってもあたりまえの事である。
光が鐘の音に聞こえるのか、鐘の音が光のきらめきに見えるのか、おそらく両方なのだ。
「共感覚」はドイツロマン派と同様、ドビュッシーにとってもあたりまえの事である。
ドビュッシーのアルペジオは1つの和音にとどまる事はほとんどなく、微妙なグラデーションを見せながら時々刻々と変化していく。 その変化はラモーの古典和声学を全く無視している。調性さえ無視している。 これは画家のモネが物の「固定色」を無視したのと似ている。
そして「情念」を排除して「感覚」に徹した事、特に「光のきらめき」と「色のグラデーション」を描こうとした事、こんな所もそっくりだ。
ドビュッシーは「印象派」と呼ばれる事を嫌い、自分は「象徴主義」と考えていたらしい。しかしそれは印象派が「写実主義」という誤解が世間であったからではないだろうか?
僕から見るとドビュッシーとモネはそっくりに見える。
この曲のクライマックスは1分52秒あたりからだ。
キラキラと光の流れが斜めに視界をよぎる。
その背後には水面の波紋が拡がる様子まで見える。
その光の流れの何という美しさだ。
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