デュメジルの三機能の根拠をプラハ構造主義から切り離し生物的な機能と考える事、これなら僕にも理解できる。

そうするとこれはタルコット・パーソンズのAGIL図式と比較できる。パーソンズはバカにされがちなのだが、どうしてどうして、あれを「社会という生物が持つ基本的機能」と見做せば非常に意味深なテーマとなる。ケインズと同様、パーソンズもまた隠れ神秘主義者なのだ。



次にアヴァターラについてである。


アヴァターラはヴィシュヌ信仰が土着の信仰を包摂、融合していく事で生まれたと先ずは考えられる。しかし仏教の中にも、特に密教には観世音菩薩の変化仏が存在する。

これはヴィシュヌ教の影響で生まれたのだろうか? 身体が変化、特に不気味な形に変化していくのは密教そのものの性格に由来するのではないか?



ここで思い出すのは無脊椎動物のボディープランの多様性である。
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逆に脊椎動物は魚類から哺乳類、鳥類まで基本的なボディープランが変わっていない。

無脊椎動物の不気味な形を僕は「ディオニュソス的エロス」と名付けた。これは以前考察した様に、動物の様々な機能(消化、循環、呼吸、神経など)が足し算ではなく掛け算である事からくる必然的な複雑さである。脊椎動物もその点は同じ問題を抱えておりすべすべした流線型に近づくのは表面だけだ。


「動物の持つディオニュソス的エロス」「無脊椎動物はタントラの夢を見る」という命題が再び想起される。 http


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