ヤフーブログからずっと僕のブログを見てくれた人は「なんだ、またこの曲か」とうんざりするかもしれない。しかしヤフーの頃と今では読者層がかなり変わってきているのでそろそろもう一度挙げても怒られないのではないか? 笑
今回これを挙げたのはベニー・ゴルソンの泣かせるフレーズもさることながら、それ以上にドン・フリードマンのピアノに感動したからである。
彼のピアノはハードバップというにはあまりに詩的だ。一つ一つの音がしっかりと立っていてツヤがあり、それが微かな重なりを持って流れる様に連なっていく、そのスタイルは僕の今まで聴いた中ではケニー・ドリューに最も近い。しかしその詩的な透明感はケニー・ドリューよりもっと絵画的だ。しかも伴奏の時はベニー・ゴルソンに合わせ、サックスソロの美しさを引き立てる事に徹している。その協調性がとても好感が持てる。
「ジャズピアノの詩人」と言えばビル・エヴァンスだ。フリードマンはその詩的センスゆえに「エヴァンス派」と言われる事もあるようだが彼はエヴァンスの影響を否定している。僕も彼のスタイルは生粋のビバップだと思う。だが彼はジャズ・メッセンジャーズのピアニストの様な超硬質なテンションを強調しないし黒い表現にも拘らない。ロマン派のハードバップなのだ。
実は「ロマン派ハードバップ」という言葉は誰かがタッド・ダメロンを評した言葉なのだが、ケニー・ドリューやドン・フリードマンにもそのまま当てはまる言葉だと思う。伴奏の時の協調性とソロの時のロマンチックな抒情は裏表だ。恐らく温厚な性格なのだろう。
ダメロンといい、フリードマンといい、新たな感動の対象が次々と現れてくるのは僕のスランプ脱出ももう近いという兆候ではないか? 笑
追記:この曲のコード進行の美しさを知ってもらうためにCmからDmのキーに変えて大まかな進行を書いた。
オスカー・ピーターソンの演奏ではさらに分かりやすく4段目のGm7をEm7♭5に変えている。
今回これを挙げたのはベニー・ゴルソンの泣かせるフレーズもさることながら、それ以上にドン・フリードマンのピアノに感動したからである。
彼のピアノはハードバップというにはあまりに詩的だ。一つ一つの音がしっかりと立っていてツヤがあり、それが微かな重なりを持って流れる様に連なっていく、そのスタイルは僕の今まで聴いた中ではケニー・ドリューに最も近い。しかしその詩的な透明感はケニー・ドリューよりもっと絵画的だ。しかも伴奏の時はベニー・ゴルソンに合わせ、サックスソロの美しさを引き立てる事に徹している。その協調性がとても好感が持てる。
「ジャズピアノの詩人」と言えばビル・エヴァンスだ。フリードマンはその詩的センスゆえに「エヴァンス派」と言われる事もあるようだが彼はエヴァンスの影響を否定している。僕も彼のスタイルは生粋のビバップだと思う。だが彼はジャズ・メッセンジャーズのピアニストの様な超硬質なテンションを強調しないし黒い表現にも拘らない。ロマン派のハードバップなのだ。
実は「ロマン派ハードバップ」という言葉は誰かがタッド・ダメロンを評した言葉なのだが、ケニー・ドリューやドン・フリードマンにもそのまま当てはまる言葉だと思う。伴奏の時の協調性とソロの時のロマンチックな抒情は裏表だ。恐らく温厚な性格なのだろう。
ダメロンといい、フリードマンといい、新たな感動の対象が次々と現れてくるのは僕のスランプ脱出ももう近いという兆候ではないか? 笑
追記:この曲のコード進行の美しさを知ってもらうためにCmからDmのキーに変えて大まかな進行を書いた。
オスカー・ピーターソンの演奏ではさらに分かりやすく4段目のGm7をEm7♭5に変えている。

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