作家の宮崎学氏がさる3月30日に老衰で亡くなられたそうだ。享年76歳。

彼は企業恐喝、地上げなどの裏社会で生き、グリコ森永事件の容疑者として取り調べを受ける一方、若い頃は共産党のゲバルト部隊にいた時期もあるようで、朝鮮総連にもコネクションを持っているという「一筋縄でいかない」男であった。

彼の書いた半ノンフィクション小説「アジア無頼−幇という生き方」は若い頃読んで大きな衝撃を受けた。何十年も前に読んだのでかなりの記憶違いがあったようだ。図書館で再読できたので修正、加筆する。


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主人公の竹村は飯場でヤクザと揉め事を起こし相手を半殺しにして日本にいられなくなり中国人の知り合いを頼ってベトナムへ逃げる。周と名乗るその中国人は養父の風呂炊きをしていた老人だが義和拳の達人であり、竹村は幼少の頃から彼に「釵」(サイ)という三叉の鎌の様な武器を持って振り回す武器術を習っていた。

養父にその様な中国人との付き合いがあったのは彼が満州で情報収集の任務にあたるスパイだったからである。(この辺のストーリー設定はどうもフィクションっぽい。恐らく少林寺拳法の開祖、宗道臣氏の経歴からヒントを得たのではないか?)

竹村はベトナムで南ベトナム側の傭兵として働く内にチャム族の仲間の紹介で秘密結社「青幇」に入会する。

東南アジアのアンダーグラウンドの世界は日本人の想像を絶するものがある。あちらの黒道は「ヒットマン」などというイメージとはまるで違う。むしろベトナムでゲリラ戦を戦ってきた百戦錬磨の軍人、ブラックウォーターの様な特殊部隊に近い。竹村の部隊の仕事は山岳民族から阿片や香木を集め、また巷に溢れる米軍の軍需物資を横領し売り捌く事であった。米軍やサイゴン政府の腐敗、そこに群がるマフィア、ベトコンの混沌の中での商売は当然用心棒を必要とする。それを引き受けたのはベトコンに共感を持つ数名の旧日本兵であり、そこに竹村も加わったのである。

勘違いしていたのは竹村の部隊がベトコン側だったのではなく、傭兵の旧日本兵がベトコンにシンパシーとコネクションを持っていたという事、また次に述べる「将軍」が阿片を米軍に売り米軍を麻薬中毒にする隠れた意志を持っていたという事である。

傭兵として次第に頭角を現す中で竹村はカンボジアの女性と結婚するのだが、妻はポルポト派に殺されてしまう。復讐を誓った竹村は紅幇(洪門会)の「将軍」と呼ばれる男の私兵を借りてポルポト派にゲリラ戦を仕掛ける。この時彼は銃を使わず(銃声がかえってポルポト派の仲間を呼び寄せる事になるからである)闇夜に紛れてポルポト派を急襲し得意な釵(サイ)を振り回して切りまくるのである。

もちろん竹村の部隊も無傷でいられるわけはない。一人死に、二人死に、30名ほどの部隊の半分が死んでも竹村はこの復讐戦を一向にやめようとしない。生き残った部隊は次第に「この男は全滅するまで続けるつもりではないか?」という不安にかられる様になった。

ポルポト派にしてみれば竹村達が何の目的で襲って来るのか、そもそも彼等が何者なのかさえ判らない。一方は相手の行動パターンや兵舎の場所を熟知し、他方は相手の目的も正体も分からない。それは兵法的に見てもポルポト派に不利な戦いであった。いつしか竹村はポルポト派から「狂った虎」と呼ばれるようになっていた。


洪門会の「将軍」の本名は謝俊耀。中国国民党の残党であり、今では表の顔はタイ・ミャンマー国境地域でのモン族独立運動の英雄だ。しかし裏の顔は香港マフィアのビッグボスであり、黄金の三角地帯の阿片の流通を最上流で取り仕切る、クンサーと比較されるほどの闇将軍でもある。

周知の通り、阿片はそれまでモン族が細々と栽培していたのだが、毛沢東軍に追われて東南アジア方面へ逃走した一部の国民党軍がそれを大規模にやり出して黄金の三角地帯となった事、彼等にCIAが武器と阿片の販路を保障し「共産主義封じ込め作戦」の一環とした事は今では歴史の常識になっている。つまり国民党の残党はアメリカ側だった。

それを考えると将軍が「米軍を麻薬中毒にする事を狙っていた」というストーリーには疑問が残る。しかし洪門会のアンダーグラウンドな性格を考えればあり得ない事ではない。モン族出身の将軍がモン族を冷戦のために利用しようとするアメリカに対し反感を抱いたのは十分にあり得る事である。あのクンサーも初めは国民党側だったが後には中国共産党側へ寝返ったと言われている。

将軍の戦略は中国共産党の戦略そのものである。落合信彦によれば周恩来はベトナム戦争の最中、ある秘密結社の会合でこんな発言をしたそうだ。
「我々は米軍に阿片を提供する。阿片戦争の時、欧米の帝国主義国は麻薬の力で中国を植民地にした。今度は我々が麻薬の力でアメリカ帝国主義に復讐するのだ。」
中国人の執念は長大なスパンを持つ。周恩来はベトナム戦争において100年以上前の阿片戦争の復讐をしようとしたのである。(そしてそれは成功した。)

いずれにせよ、それは竹村の復讐戦やチャム族のゲリラ商法には関係無いことである。しかし彼等が阿片を売った相手は南ベトナムや米軍人であり、結果的に彼等は周恩来の意図に沿って動いていた事になる。この本の凄さはこの竹村やチャム族の私闘が巨大な国家の復讐戦と深く絡み合っていく歴史のドラマにある。

ポルポト派狩りで将軍の私兵を借りた竹村は大きな借りができ、今度は将軍の配下になって「凄腕の殺し屋」として将軍のライバルを暗殺していく事になる。将軍のライバルとは即ち香港マフィアのボスたちであり、当然竹村も多くの敵を作り命を狙われる事になる。四六時中、一年中刺客の影に怯える竹村にとって世界で最も安心できる場所は九龍城の中であった。


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以上、図書館で再読し、修正、加筆した。勘違いをしたのは、これの姉妹書とも言える「血族−アジア・マフィアの義と絆」及び落合信彦氏の「北京より愛をこめて」のストーリーとゴッチャになったためである。いずれにせよ「修羅場をくぐる」などという言葉が吹っ飛んでしまう様な世界の話だ。

この小説のどこまでがノンフィクションなのかは分からない。しかし宮崎学氏は実際に洪門会の友人がいたのは事実であり、また日本の極道の一部に今でも「香港に住む片目の潰れた凄腕の殺し屋」の伝説が残っているようだ。

宮崎氏は小説の竹村ほど極端ではないが自身も相当な世界を歩いてきた虎であった。心からご冥福をお祈りする。