まだ詰めてない思いつきなのだが、かなり長い間暖めていた思いつきを忘れない内に書き留めておこう。

テンニエスの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」 を読むうちに、これは今までの「ヘレニズムとヘブライズム」の座標に直交する「ゲルマンとラテン」という座標が無いとこれまでの僕の体系の中に位置付けられないと確信した。荒っぽい座標軸ではあるが下の様になる。

  
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この図を簡単に説明すれば、ヘレニズムでは神が自然に内在している。ヘブライズムでは神が自然から超越している。ゲルマン的とはニーチェの言う「ディオニュソス的」にほぼ等しく「力、混沌、深淵」を表し、ラテン的は「アポロン的」にほぼ等しく「理性、秩序、明晰」を表す。この「ゲルマンとラテン」の対比を強調しているのがポール・ヴァレリー、トーマス・マン、シュペングラーなどである。



ゲマインシャフトとゲゼルシャフトは当初「テンニエスと丸山真男の間」という観点から書くつもりだった。しかし「近代と反近代」の理念型を整理するためにスペンサーとボルケナウの理念型と総合する必要がある事がハッキリした。(この記事のコメント部分を参照 
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さらにそれをゲーテ、ヘッケルの生物学と総合させる、という欲を出して問題が大きくなり進まなくなっている。(苦笑) ゲーテの生物形態学がスペンサーを介して社会的分業の問題に結びつく事はこの記事を読めば分かる。
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今後、この解説を少しずつここに書き足していこうと思う。