オールドパッション氏のブログ記事からヒントを得た事を・・・・
「ミクロとマクロの相剋と相乗」は僕がずっと考えてきたテーマだが、これはヘーゲルの歴史哲学のテーマでもあって相剋する場合が「理性の狡知」、相乗となる場合が「世界精神」となるわけである。
しかしさらにこれは生物における細胞と臓器、臓器と個体の関係でもあり、もっと遡れば無機物においても分子と系(閉鎖系、開放系)の関係ともなる。
清水博の「生命を捉えなおす」を読んで大きなヒントを得たのだが、いわゆる「散逸構造」はミクロとマクロが相乗となる場合であり、ミクロの法則とマクロの法則が連続する。それには先ず系の中へ不断に自由エネルギーが流入し不安定な状態にある事が前提となる。
次に不安定さを解消しようとする要素の動きの間で何らかの理由で動的協力が生じる時、全ての方向へ無差別に動く「等方性」から或る方向に偏る「異方性」が生じ、ミクロとマクロの相克が相乗へ転じる事で動的秩序(散逸構造)が生まれる。この時ミクロ同士の動的協力と同時にミクロとマクロの間でも正のフィードバックが起きている。
逆に自由エネルギーの流入の無い「閉鎖系」 ではミクロの動きは等方的であり、互いに打ち消し合ってマクロの動きに繋がらない。この場合はミクロの法則とマクロの法則が断絶する事になる。http
ここでいつものように飛躍してしまうのだが、ナポレオンの様な世界精神を体現する存在が生まれる時とは、不安定さ(不満)が蓄積され、さらにその不安定が横の連帯によって異方性を持つ時である。

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