「気流の場」 は或る団体で知った言葉だが、遡ると真木祐介の「気流の鳴る音」に、そしてさらに遡るとカスタネダの師事したアメリカ・インディアンの呪術師ドンファンの教えにあるようだ。この言葉は僕が言いたい事をストレートに表現しているので拝借する事にしよう。
中国武術では身体の動き、屈曲によって気の流れが生じ、それがその後の動きをリードして行く事はこれまでも不充分ながら示唆してきた。例えばミトラ流の馬弓捶では足の裏から気が入り身体の湾曲に沿って回転するので、それに従って腕も同方向に回転する。 その原理はミトラ流の弾腿衝拳でも、またミトラ流の回し打ちでも同じである。http
この様に回転する気流の場を想定する事により、分かりにくい中国武術の套路(空手では型)の動作の意味が分かってくる事がある。
「馬歩架掌」 については上の記事で書いたがもう少し延長してみよう。
馬歩架掌は馬歩で行うからこういう名前になっているのだが、套路によっては仆歩で同じ腕の動きをする。僕はこちらの方が気功的にはより合理的だと思う。
これと対照的な動きをするのが初級長拳三路にある「大躍歩前穿」と呼ばれる動作である。

下の動画(1:30)
これは防御から次の攻撃へ移る準備の動作だが、なぜ腕を真っ直ぐに後ろへ引かず大きく回すのかと疑問に思わないだろうか? しかし気功的観点から言えばこの回す動作に意味があるのである。「馬歩架掌」では車輪の回る方向に、「大躍歩前穿」では車輪と反対方向に腕を回す。この回転によって気流の場が回転するのである。
「馬歩架掌」ではその車輪方向の気流に沿って左手を上から回す回し打ちに繋げるのが気功的に最も合理的である。

それに対し「大躍歩前穿」では車輪と反対方向に場が回転しているのに合わせて左手が上に上がる架打に繋げるのが合理的である。(絵が下手で申し訳ない)
この車輪方向の回転と逆回転の区別は足技でも同じである。最近はムエタイの選手も空手式の前蹴りをする事が多くなってきたが、昔のムエタイの前蹴りは「前押さえ」とも言うべき技で、膝を大きく上に上げて足裏全体で蹴るやり方だった。これは痛くはないのだが非常に重く身体全体が吹っ飛ばされる。(下図上)
古式ムエタイの前押さえと対照的なのが伝統派空手の前蹴りで、特に松濤館では「膝を上げたら、その膝の位置を変えずに足を出せ!」と強調される。そうすると膝から下の動きは車輪と反対回りの半円を描く事になる。(下図下) これはかなり足首と足の指を深く曲げる癖をつけておかないと相手が膝でブロックした時に指を痛める事になる。
この車輪と反対回りの力は中国武術の弾腿ではもっとハッキリしており初めから足首と指を伸ばして蹴る。中国武術は「靴を履いて行う」事が前提になっているのでこういう蹴り方ができるのである。
これはほとんどムエタイの回し蹴りを垂直にしたものだ。ちなみにムエタイの回し蹴りを中国では鞭腿と言うそうだ。(そんな事はどうでも良いか)
これはほとんどムエタイの回し蹴りを垂直にしたものだ。ちなみにムエタイの回し蹴りを中国では鞭腿と言うそうだ。(そんな事はどうでも良いか)
それに対し古式ムエタイの前押さえは車輪方向に回る力が働いている。この二つを両極として太極拳の蹬脚、伝統派空手の前蹴り、フルコンタクト空手の前蹴りを位置付けると下の様になると思う。
フルコン派の空手ではかなり膝を上げて、相手が膝ブロックしても突き指するのを避けている。しかしそれによって蹴り技と気功の一致は失われる事になる。まあ、蹴りで発勁などはできないと考えた方が良いので実戦では気功との一致が失われても良いのだが、「気功的観点から武術を見る」僕の視点では車輪方向と逆方向の回転が大きな意味を持つ。
ムエタイ前押さえの車輪方向の回転では膝を上げるまでは「蓄勁」なので吸気し、膝を伸ばす過程で「発勁」となるので呼気するのが気功的には合理的だ。(下図左)それに対し車輪と逆回転の弾腿では初めから呼気しながら一気に蹴るのが合理的である。





コメント
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今日をもって完全復活とする。
ミトラ
が
しました