正統派のキリスト教とユダヤ教がずっと対立してきた中でユダヤ教の秘教であるカバラーが何故キリスト教の秘教の中に取り込まれたのか、その経緯自体が謎である。少なくともルネサンス時代のピコ・デラ・ミランドラやアグリッパによって「キリスト教とカバラーの結合」は公に議論される話題となり、以後その傾向が逆転する事は無かった。もちろん「ヘルメス学とカバラーの結合」はそれ以前からあったと思われる。   

ダイアン・フォーチュンの説くカバラーは「黄金の夜明け団」 のものであり「クリスチャン・カバラー」と呼ばれるものである。それはヨーガにおける呼吸法と瞑想を合体したようなメソッドとして確立され、彼女はこれを「カバラーをヨーガとして使う」とも言っている。

クリスチャン・カバラーの呼吸法は4秒で吸気、2秒止め(ヨーガのクンバカ)、4秒で呼気、2秒止める。この4・2・4・2の長方形の呼吸を次第に大きくゆっくりにしていき、8・4・8・4くらいまで長くする。同時に吸気、呼気とクンバカの境界を曖昧にし、長方形の呼吸から楕円の呼吸に変えていく。




「生命の樹」は通常10のセフィラとそれを繋ぐ22本の「path」(小径)によって表される。(しかしもうひとつ隠れたセフィラ、ダアトが有ると言う)

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セフィラの象徴的意味については人によって少しずつ違いがあるが、ダイアン・フォーチュンの記述を簡単に表示する。彼女はセフィラと惑星の関係、クンダリニーヨーガや中世インド哲学との関係まで視野に入れている。個々のセフィラの意味については次回に回すが、このフォーチュンの図式へは何度も立ち帰り復習する事になるだろう。
 
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セフィロートは頂点の「ケテル」から「流出」し螺旋のように下って行く力である。
「流出」という観念が「超越神による世界創造」と対極的なものである事は以前書いた通りである。http  
砂漠の宗教、超越神の代表たるユダヤ教から何故「流出論」の体系が生まれたのか、これまで何度も参考にしてきたmorfo氏はさすがにこの問題に気づいていて「ユダヤ教のヘレニズム化」というテーマにまとめていて、周囲のヘレニズム的な女神信仰と接して影響を受けたのだと推測している。
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「生命の樹」の観念はノイマンが言う通り北欧神話のユグドラシルを初めとして世界中に見られるもので、それが流出するセフィロートの体系となったのは意外と新しく、「バヒール」が書かれた12世紀以前には遡れないようである。
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そうだとすればその段階的流出論が新プラトン主義の影響を受けた事が先ず推測される。またインドのタントラの影響、もっと極端な説としてはエジプト魔術に淵源するという説もある。それによればモーセがユダヤ人を解放し約束の地、カナンへ導いた時、その大群衆の中にエジプト魔術に習熟した者が多数おり、彼等が後に「聖書は実は暗号で書かれている」と言い出したというのである。何の証拠も無い「ムー」的な話だが妙に心揺さぶられるものがある。


いずれにせよセフィロートの流出体系は正統派ユダヤ教の超越神の教義にある意味で対立するものである事は疑いない。もちろんカバリストはそれを否定しカバラーとラビのユダヤ教の間に違いはない事を強調する。




次に注目されるのは、これが新プラトン主義と同様に「世界の成り行き」と「人間の霊性進化」が逆行する体系であるという事だ。世界は神の段階的な流出として現出し、この過程を逆行させる事が神に還帰する道である。
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これがシュタイナーと相反する宇宙観である事は以前指摘した。

つまりこれは天から地へ
、神から人へ、イデアから物質へと顕現する過程であると同時に人間の霊性がこれに沿って逆行し上昇して行く道でもある。
missing氏は古代インド思想や日本神話の世界まで統合しようとするので、この霊性の上昇は顕在意識から潜在意識へと地下を掘っていく過程でもある。
http    この点は僕もmissing氏に賛成である。


セフィロートの流出、螺旋状の降下は雷光、或いは火に喩えられる事が多い。しかし聡明なダイアン・フォーチュンはこれを「火」だけでなく「水」の喩えとしても説明している。

>加熱した液体が飽和点に達していると、冷却するにつれて結晶を生み出してくる。この事実は「ケテル」を表わす象徴として役立つだろう。
>「最初の顕現」が「原初の未顕現」から存在へと到達する様を考えることのできるある観念を得ることになろう。

missing氏はこの螺旋状の下降を「生命が生まれる過程」とも言う。僕も賛成だ。
生命の誕生する過程を火の喩えと水の喩えで説明する事の意味は、以前「水成説と火成説」のテーマで考察した事とカバラーを繋げるヒントとなるだろう。
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僕はカバラーをゲーテ、ノヴァーリス的に解釈したい。




10のセフィラは2つの観点から整理される。


① 三本の柱

まず縦の三本の柱である。生命の樹は3本の幹があるのだ。向かって左側のビナー、ケプラー、ホドが峻厳の柱、右のコクマー、ケセド、ネツァクが慈悲の柱、中央のケテル、ティファレト、イエソド、マルクトが中央の柱である。

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峻厳の柱が女性性、慈悲の柱が男性性を表わす、と日常的な感覚と逆の説明がされているのだが、この意味は今のところ良く分からない。宿題としておこう。

フォーチュンは峻厳の柱をクンダリニーヨーガのイダー管、慈悲の柱をピンガラ管に相当するとしている。

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しかし別の解釈もあり、
それによれば下図のようにインド的理解は至高の三角形と倫理の三角形の間で捻れていると言う。(http
 
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missing氏はこの女性性の峻厳の柱と男性性の慈悲の柱にそれぞれカミムスビとタカミムスビを当てて下の様な対応を考えている。http

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別の資料でもケテルにアメノミナカヌシ、コクマーにタカミムスビ、ビナーにカミムスビを当てているものがあり注目に値する。
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今後、個々のセフィラの意味を学ぶ中で検討すべき課題である。





② 四つの次元

次に「元型界」(アツィルト)、創造界(ブリアー)、形成界(イェツィラー)、活動界(アッシャー)の4次元に分けられる。
この次元は現代スピリチュアル系の人の言う「振動数」と考えればかなり近く、同じ空間に同居しているものであり「天の彼方に神界が有る」などという世界観とは異質である。

この4次元は下図で示す様に「三つの三角形」とセットで説明されるのだが、ややこしい事に「4次元」と「三つの三角形」の対応のさせ方が人によって違うのである。僕は今後もフォーチュン氏の「神秘のカバラー」を基礎文献としていくつもりなのでフォーチュン氏の説に従いたい。

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至高の三角形はケテルが男性的潜在力、コクマーと女性的潜在力、ビナーに分裂する事で顕現する。「対立する二極に分化しなければ如何なる顕現もあり得ない」とフォーチュンは語る。

全く同感だ。先ず男性性と女性性に根源的分化を見るのは中国の太極図説(
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何故この様な点にこだわるかと言うと、男性原理と女性原理の分化が根源的二元性と考えるかどうか、それが生物学において有性生殖がどこまで遡れるかという問題に重なってくるからだ。
神話学と生物学を重ねて見る神秘主義者ならではの発想かもしれない。一応、男女性を根源的と考える神話・哲学とそうでないものを表に整理しておこう。
 
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こう見ると大雑把な傾向として神秘主義の体系、また父権社会より母権社会の方が男女の性別を根源的二元性と考える傾向があるようだ。

アツィルト界からアッシャー界までの下降は二極への分裂と統合を繰り返しながら自然界の生命、人間の現意識の成立へ至るものであり、セフィラとの対応関係はフォーチュン氏では二つ上の図に示した通りだが、彼女はさらに一つ一つのセフィラが4重の世界と接触点を持つとも言う。
これは言い換えれば4世界にそれぞれ生命の樹があるという解釈になる。

4世界をフォーチュンは次の様に説明する。
神の流出は
アツィルト界では「十の神聖なる神名」を通して顕現する。
ブリアー界では「十の強力な大天使」を通して顕現する。
イェツィラー界では「天使の大群」または「合唱隊」を通して顕現する。
アッシャー界では「十の宇宙チャクラ」と呼ぶべきものを通して顕現する。
(アッシャー界は「低次アストラル界」と「エーテル界」である)
(神秘のカバラー p.44〜45)

前に挙げた「笑顔の樹」さんの説明はより簡潔だ。
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アツィルト界は神のいる完全な世界
ブリアー界は大天使の支配する世界
イェツィラー界は天使の支配する世界
アッシャー界は魂が肉体と感情を持つ人間の世界


人によって区分の線が異なるのが面倒なところだが、いずれも神から物質に至る階層である点は共通している。



神から物質に至る階層構造と言われて僕が連想するのはシュタイナーの「人間の9段階の構成」である。(下図)

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シュタイナーの肉体、生命体(エーテル体)、アストラル体までの構成はこれまで生物学と対照させながら理解してきたものだし、霊我(マナス)、生命霊(ブッディ)、霊人(アートマ)はヒンドゥー教でお馴染みの概念なので僕にとっては非常に分かりやすく直感的に理解できるのだが、それに較べてセフィロートの体系は今の段階では大いに違和感を感じている。それは「人間の様々な美徳を並べた様に見えるセフィラに流出論の体系を当てはめる事に無理があるのではないか?」という疑問である。例えばケセド(慈悲)からゲプラー(剛毅)が生じ、ゲプラーからティファレト(美、犠牲)が生ずるとは理解しにくいのだ。これはまだ理解が浅いせいかも知れず、今は保留としておく。

このシュタイナーの階層論から見たカバラーの階層論の違和感に関して、非常に参考になるのがシュタイナーのカバラー理解である。
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これはまた長くなりそうなので次回のお楽しみ。
(誰も楽しみにしていない。笑)