シュタイナーがセフィロートを自身の「オカルト生理学」に即して解釈する事で流出論的な見方を事実上捨てている事は前回確認した。
(オカルト生理学についてはこちらを参照 http http )
もう一つの視点、ルルスの結合術もオカルト生理学的見方と結びついている。前回書いた通り、ルルスについては思想史の観点から重要な点を幾つか述べるにとどめよう。
ルルスは13世紀後半に活躍したフランチェスコ会士であり、その「結合術」と呼ばれる方法は少数の根本概念の組み合わせによって全ての学を演繹的に構成しようとするものである。
結合術はライプニッツの普遍言語構想から現代の科学哲学、分析哲学にまで影響を及ぼす一方で、ルネサンスの思想家ピコ・デラ・ミランドラによってカバラーとの類似性を指摘されて以来アグリッパやキルヒャーなどの神秘主義者、ドイツロマン派からも大きな関心を寄せられた。(シュタイナーの「セフィロートのルルス的解釈」という視点がルネサンス時代のピコにまで遡れる事を僕はこの真行寺君枝氏のブログで今回初めて知った。http )
ルルスの結合術は次の様に説明されている。彼は神の属性を9つの絶対的属性と9つの相対的属性に整理する。これ等は9つの階級、即ち「神、天使、星、人間、想像力、動物、植物、四大、道具」にまとめられる。これにアルファベットを象徴として振り分け、それを3段の同心円からなる円盤に書き入れ(下写真)円盤を回転させる事でそのアルファベットの組み合わせから答えを得ると言う。(http http)
「世界の性質を基本的なカテゴリーに分解し、その組み合わせで世界の多様性を説明する」という発想は「多様な物質をいくつかの元素の結合として説明する」という点で原子論と同源であり、ラッセルは分析哲学を「論理的原子論」と表現した。
これは人間の認識パターンの根本様式とも考えられ、アリストテレスの分類法からスコラ学の「乾•湿」「熱•冷」の組み合わせで四大(火・水・気・土)を説明する事などにも現れ、カントのような厳密な哲学においても12のカテゴリー論が論じられている。
しかしここから命題を導くとなるとかなり問題が難しくなってくる。それは言葉の構造を考えれば分かるだろう。名詞、動詞、形容詞、副詞、関係詞、助詞など質的に異なるレベルの記号を組み合わせなければ文章が成立しない。
逆に言えば記号を並べるだけで意味が通じるためには単語の順番によって名詞か動詞か形容詞か分かるような記号体系でなければならない。古代の象形文字がそうであり、現代でも中国語などはそれに近いだろう。また正確に文意を確定するには膨大な語彙数が必要である。
その点でルルスの9の3乗、ましてセフィロートの10の記号数では全く足りないし、そこから何かを読み取るには想像力を働かせるしかない事になる。ここに本来は論理的原子論に近いルルスの方法が神秘主義と繋がる根拠がある。
さて、シュタイナーは個々のセフィラに独自の象徴的意味を与えているので、ルルス的解釈も分かりにくくなっているのだが、具体的には次のような読み方を挙げている。
ゲブラー・ケセド・ティファレト
心臓の鼓動に生命力(ゲブラー)が感じられ、右手を伸ばすと自分が自由(ケセド)な存在だと感じられる。より優しく動かせる左手は美(ティファレト)の実現を可能にする。
ゲブラー・ネツァク・ホド
生命力(ゲブラー)が腎臓(ネツァク)の中で夢を孵化(ホド)する
→人間の中の霊的な人間が夢を生じさせる
ケテル・ケセド・ビナー
至高の力(ケテル)が自由に(ケセド)叡智(ビナー)を生じさせる
コクマー・ゲブラー・マルクト
叡智(コクマー)が生命力の霊たち(ゲブラー)を生み出し、地上(マルクト)で働かしめる
これは人間の認識パターンの根本様式とも考えられ、アリストテレスの分類法からスコラ学の「乾•湿」「熱•冷」の組み合わせで四大(火・水・気・土)を説明する事などにも現れ、カントのような厳密な哲学においても12のカテゴリー論が論じられている。
しかしここから命題を導くとなるとかなり問題が難しくなってくる。それは言葉の構造を考えれば分かるだろう。名詞、動詞、形容詞、副詞、関係詞、助詞など質的に異なるレベルの記号を組み合わせなければ文章が成立しない。
逆に言えば記号を並べるだけで意味が通じるためには単語の順番によって名詞か動詞か形容詞か分かるような記号体系でなければならない。古代の象形文字がそうであり、現代でも中国語などはそれに近いだろう。また正確に文意を確定するには膨大な語彙数が必要である。
その点でルルスの9の3乗、ましてセフィロートの10の記号数では全く足りないし、そこから何かを読み取るには想像力を働かせるしかない事になる。ここに本来は論理的原子論に近いルルスの方法が神秘主義と繋がる根拠がある。
さて、シュタイナーは個々のセフィラに独自の象徴的意味を与えているので、ルルス的解釈も分かりにくくなっているのだが、具体的には次のような読み方を挙げている。
ゲブラー・ケセド・ティファレト
心臓の鼓動に生命力(ゲブラー)が感じられ、右手を伸ばすと自分が自由(ケセド)な存在だと感じられる。より優しく動かせる左手は美(ティファレト)の実現を可能にする。
ゲブラー・ネツァク・ホド
生命力(ゲブラー)が腎臓(ネツァク)の中で夢を孵化(ホド)する
→人間の中の霊的な人間が夢を生じさせる
ケテル・ケセド・ビナー
至高の力(ケテル)が自由に(ケセド)叡智(ビナー)を生じさせる
コクマー・ゲブラー・マルクト
叡智(コクマー)が生命力の霊たち(ゲブラー)を生み出し、地上(マルクト)で働かしめる

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