三民族とは白人、黒人、インディオの事だ。
この歌は昔のブラジルの黒人とインディオの奴隷の苦しみを歌った歌である。これは今も南米で次々と強烈な反米政権が生まれるのは何故か、その理由を理解する鍵だ。
だれの耳にもとどかなかった
ブラジルの歌の痛ましいすすり泣きの声
いつも悲しい哀歌がこだましていた。
インディオの戦士が牢に閉じこめられ
そこから唄いはじめたときから
黒人がしらべにのせる
風のなかの反抗の歌が
荒野にのがれた逃亡奴隷のところからきこえてきた
国に謀反をくわだてた闘士たちは
流れをたち切ろうとしたけれど
何にもならなかった・・・・・・・・・
この土地の人びとはみな
唄えるときがくると
苦しみを唄う
おーおーおー
戦後も白人による激しい搾取と暴力は続いている。
アメリカのアグリ・ビジネスは巨大な財力と政治的なコネクションを駆使してラテン・アメリカの最も肥沃な土地をことごとく輸出用のプランテーションに変えてしまった。
現地の国民の食べるものがなくなるのは当然である。
今はどうか知らないが2~30年前まではアメリカの多国籍企業は現地の農民が畑作業をしている上から飛行機で農薬を撒いていたのだ。
当然、喘息やアレルギー性皮膚炎になる者が続出する。抗議行動が起こる。労働争議が起こる。
ここで多国籍企業の取った方針は「現地人をして現地人と戦わしめよ」である。彼等は労務管理を現地のインディオや黒人にさせ、労働争議が激しくなればなるほど有色人種同士が互いに争い合って弱体化し、流通の利益は白人が誰にも邪魔されずに独り占めするという邪悪なシステムを作り上げた。
世界の貧困というとアフリカがよく取り上げられる。しかし貧富の格差による悲惨さ、そして女性や子供に集中する受難はラテン・アメリカの方が凄まじいと思う。
多国籍企業及びそれと結託する一握りの売国的政治家によって国富はほとんど独占される。庶民の生きる道はほとんど残されていない。
男は土方などの重労働に、女は性産業に吸収されていく。そして彼女らの肉体をむさぼるのもまた白人である。
劣悪な環境での売春で私生児が生まれる。しかし彼女達は子供を育てる金など無い。一部の親は生活のために涙をのんで我が子を売る。
そこでは子供を殺して内臓を売る「臓器売買」が大規模に行われている。この子供の臓器を買うのもまた白人である。
こうして原住民は白人によって5重6重に搾取されていく。
クララ・ヌネスは一度日本でこの歌を歌った事がある。ところがこの歌の政治性は一言も触れず「愛の歌」というとぼけた解説をしていた。恐らくTV局から「政治的な発言は控えて欲しい」と圧力がかかったのだろう。日本という国は何事もこの調子だ。
こういう「天に向かって雄叫びを上げたくなるような」すさまじい搾取と悲惨の中から生まれて来たのが「解放の神学」だった。
「キリスト教の立場から社会を変えていこう」という思想・運動はこれまでも数多くあった。「キリスト教民主主義」「キリスト教社会主義」みなそうである。しかし「解放の神学」のベクトルは逆である。彼等は「社会を変革する立場からキリスト教を変えよう」としたのだ。
僕は教条的なマルクス主義は支持しない。しかし女性や子供の阿鼻叫喚をつぶさに見た現地の神父さん達がローマ法王の忠告を無視して次々と共産ゲリラになっていった気持ちは良く分かる。
「サンバのリズムや踊りが激しいのは深い悲しみを忘れるために他ならない。」
この歌は昔のブラジルの黒人とインディオの奴隷の苦しみを歌った歌である。これは今も南米で次々と強烈な反米政権が生まれるのは何故か、その理由を理解する鍵だ。
だれの耳にもとどかなかった
ブラジルの歌の痛ましいすすり泣きの声
いつも悲しい哀歌がこだましていた。
インディオの戦士が牢に閉じこめられ
そこから唄いはじめたときから
黒人がしらべにのせる
風のなかの反抗の歌が
荒野にのがれた逃亡奴隷のところからきこえてきた
国に謀反をくわだてた闘士たちは
流れをたち切ろうとしたけれど
何にもならなかった・・・・・・・・・
この土地の人びとはみな
唄えるときがくると
苦しみを唄う
おーおーおー
戦後も白人による激しい搾取と暴力は続いている。
アメリカのアグリ・ビジネスは巨大な財力と政治的なコネクションを駆使してラテン・アメリカの最も肥沃な土地をことごとく輸出用のプランテーションに変えてしまった。
現地の国民の食べるものがなくなるのは当然である。
今はどうか知らないが2~30年前まではアメリカの多国籍企業は現地の農民が畑作業をしている上から飛行機で農薬を撒いていたのだ。
当然、喘息やアレルギー性皮膚炎になる者が続出する。抗議行動が起こる。労働争議が起こる。
ここで多国籍企業の取った方針は「現地人をして現地人と戦わしめよ」である。彼等は労務管理を現地のインディオや黒人にさせ、労働争議が激しくなればなるほど有色人種同士が互いに争い合って弱体化し、流通の利益は白人が誰にも邪魔されずに独り占めするという邪悪なシステムを作り上げた。
世界の貧困というとアフリカがよく取り上げられる。しかし貧富の格差による悲惨さ、そして女性や子供に集中する受難はラテン・アメリカの方が凄まじいと思う。
多国籍企業及びそれと結託する一握りの売国的政治家によって国富はほとんど独占される。庶民の生きる道はほとんど残されていない。
男は土方などの重労働に、女は性産業に吸収されていく。そして彼女らの肉体をむさぼるのもまた白人である。
劣悪な環境での売春で私生児が生まれる。しかし彼女達は子供を育てる金など無い。一部の親は生活のために涙をのんで我が子を売る。
そこでは子供を殺して内臓を売る「臓器売買」が大規模に行われている。この子供の臓器を買うのもまた白人である。
こうして原住民は白人によって5重6重に搾取されていく。
クララ・ヌネスは一度日本でこの歌を歌った事がある。ところがこの歌の政治性は一言も触れず「愛の歌」というとぼけた解説をしていた。恐らくTV局から「政治的な発言は控えて欲しい」と圧力がかかったのだろう。日本という国は何事もこの調子だ。
こういう「天に向かって雄叫びを上げたくなるような」すさまじい搾取と悲惨の中から生まれて来たのが「解放の神学」だった。
「キリスト教の立場から社会を変えていこう」という思想・運動はこれまでも数多くあった。「キリスト教民主主義」「キリスト教社会主義」みなそうである。しかし「解放の神学」のベクトルは逆である。彼等は「社会を変革する立場からキリスト教を変えよう」としたのだ。
僕は教条的なマルクス主義は支持しない。しかし女性や子供の阿鼻叫喚をつぶさに見た現地の神父さん達がローマ法王の忠告を無視して次々と共産ゲリラになっていった気持ちは良く分かる。
「サンバのリズムや踊りが激しいのは深い悲しみを忘れるために他ならない。」

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