陽水の「誘惑」は不思議な曲だ。マイナーキーの基本3和音しか使っていないのに何故こんな幻想的な雰囲気を出せるのだろう? テンションの使い方かと思ったがそうじゃないようだ。いまだによく分からない。
幻想的なのは音だけじゃない。言葉もそうだ。子供から大人になりかかった少女、乙女の無防備さを陽水は心配そうに眺めている。悪事に長けた男達が誘惑しようとするのに少女は気づかない。
しかし陽水はそれを眺めているだけだ。少女を助けようとか守ろうとか、そういう情念が感じられない。まるで少女と誘惑する男達全体がTVか映画の場面の様に、或いはもう既に過ぎ去って手の届かない過去の回想の様に。陽水はただ眺めている。
楽しそうに眺めているのだろうか? いやいやそうじゃない。「何故もっと◯◯できなかったのか?」という後悔と喪失感を持って眺めているのだ。次の「カナリア」にも同じ感情が流れていると僕は感じる。
カナリアが囚われの女性を示唆しているのはこの曲を最初に聴いたときから気づいていた。しかしその頃は「囚われの女性」の神話的意味についてまだ考察した事が無かった。
ノイマンはこう語る。「竜との戦いの目的は囚われの女性の解放である」そして男は竜と戦い女性を解放する事で秩序破壊的なトリックスターから文化を建設する英雄へと飛躍するのである。https://bashar8698.livedoor.blog/archives/15617776.html
そう考えるとこの歌はまた違って聴こえてくる。陽水はカナリアを解放してやる事ができずにいるのだ。「助けるべき時に女性を助けてやれなかった」或いはもっと抽象的な意味かもしれない。「関わるべき女性(或いは社会問題、或いは哲学的問い)に関わらずにすれ違ってしまった」
その事により彼の心は何か重要なものを永遠に手に入れる事ができずにいる。陽水の音楽には結婚してからもこの「喪失感」が時々思い出した様に現れる。
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