昔ある本で読んだマヘリア・ジャクソンへのインタヴューで「ソウルミュージックをどう思うか」と聞かれて彼女はこんな答え方をしていた。
「ソウルは黒人がブルースを歌う時に使われる事が多いようね。でも私は黒人にだけソウルがあるとは思わない。フランク・シナトラにもトム・ジョーンズにもソウルがあるし欧陽菲菲にもソウルがある。」
この曲は谷村新司の作で小川知子とのデュエット版が有名だがこちらの方が原曲である。歌詞もこちらの方が意味が一貫していて深い味わいがある。何故あんな不自然な歌詞に変えてしまったのだろう? 谷村新司氏を追悼する記事にしようと書き出したのだが、どうしても欧陽菲菲の素晴らしい歌唱力を聴いて欲しくてこういう記事になった。
「Love is over」と同様、単に「惚れた腫れた」の域を越えた魂の高揚感があり、名実共に「Soul music」の名に相応しい名曲、名唱である。いかにも外人っぽい発音の日本語がまた独特の色気を醸し出している。
こちらは僕が昔買ったビデオ「Red」の2曲目に入っていたものだ。
これは「不倫の歌」であり、その意味ではあまりソウルとは言えないのだが、この声質を聴いてもらいたい。このような「倦怠感」と「ツヤのあるシャウト」を両立させる事のできる歌手が他にいるだろうか?
日本にはもちろんいるはずもないし、黒人のソウル歌手にも見当たらない。アレサ・フランクリンのシャウトもここまでのツヤはない。欧陽菲菲がいかに希少価値であるか、この様な曲にむしろ現れていると思う。
この曲の「そのとき愛が」の「い」の部分が微妙に下がるのに気づいただろうか? 「忘れていいの」でも「どうかあなた」の「た」の部分も同様に微妙に下がっている。これは「blue note」とは理論的には全く違うものだが似た様な効果を持つ「東洋のブルーノート」だ。
マヘリア・ジャクソンによる評価はなかなか慧眼だと思う。
「Red」の1曲目「Happy Lighting」は台湾マフィアのアジトに乗り込んで行く麻薬捜査官に扮した菲菲といった設定で(笑)最後にお笑いになるイロニーがシブいのだが、YouTubeで見つからない。
残念!

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