弥勒信仰について詳しく検証しているブログが二つある。

一つはasukanonobe氏 
http   彼は菊地章太氏の「弥勒信仰のアジア」に依拠している。

もう一つはveera氏 
http  彼は「弥勒信仰のアジア」も参考にしているが、主に鈴木中正氏の「イラン的信仰と仏教の出会いーー弥勒下生信仰の形成」という論文に依拠している。(民衆宗教史叢書 第八巻 「弥勒信仰」宮田登編 所収)

この二人のブログを基本にして弥勒下生信仰が造反宗教に転じていった理由を考えてみよう。


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朝鮮や日本へは弥勒上生信仰が先に伝わったが、成立は意外な事に下生経の方が先である。
下生経は3世紀の終わりから4世紀初め頃に
竺法護(239〜316)が、上生経は5世紀中頃に沮渠京声が漢訳した。100年以上の隔たりがある。分かりやすいように年表を書いてみた。

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中国の弥勒信仰の祖は五胡十六国時代の道安(312〜385)とその弟子たちである。


慧遠(334〜416)もまた道安の弟子で、彼は江南の廬山に念仏結社「白蓮社」を作り、最盛期には数千名もの弟子を抱える大教団となり浄土教の祖と見なされているが、彼の念仏は後の浄土教の「称名念仏」ではなく「般舟三昧経」に基づく「禅観」の方法である。179年に漢訳されたそうだから大乗経典の中でも初期のものである。慧遠の念仏三昧の内容はここに概説がある。https

禅観の修行と言えば最も有名なのは観無量寿経だろう。その成立年代は5世紀前半、カーラヤシャスによって漢訳されたと言われる。そして弥勒上生経もこれと似た観経なのだ。その正式名称は「観弥勒菩薩兜率天上生経」と言う。そこでは兜率天の観想の仕方が詳しく説かれる。観無量寿経の訳された後である事を考えれば当然その影響を受けていると考えるのが自然だろう。

慧遠は阿弥陀仏を信仰したが、師の道安は弥勒信仰者である。道安の弟子の中では弥勒信仰を継承した者が多数派であり阿弥陀信仰に転じた慧遠は寧ろ例外であった。それが道綽、善導らによって阿弥陀仏、西方浄土の優越性が強調され、次第に阿弥陀信仰へ主流が移っていった。

しかし中国に唯識論を伝え法相宗の祖となった三蔵法師玄奘は弥勒信仰である。玄奘には阿弥陀信仰へのはっきりした対抗意識があったようである。



前回、弥勒下生信仰と末法思想は矛盾するのではないか?と書いたが、これに対して末法思想を内に含んだ弥勒下生説も存在する。http

それによれば宇宙は形成、持続、破壊、空無の4段階を繰り返し、それぞれが1中劫(カルパ)で約13億4400万年である。その間に人間の寿命は10歳から84000歳の間の増減を繰り返す。今は寿命が減っている過程であり、やがて正法が尽きて像法、末法に入る。その後人心は荒廃、天変地異が起こり仏法は滅亡に瀕する。その後、再びサイクルは一巡し次の減劫の時に弥勒仏が現れる。

しかしこの説は13世紀に天台宗の僧がまとめた「仏祖統紀」によるものである。

これは本来別系統に存在した弥勒下生信仰とイラン的な末法思想とバラモン教的な循環宇宙論が後に折衷されたものと考えるのが自然だろうと思う。何故ならその弥勒下生と循環宇宙論の論理的整合性が不明だからだ。

宇宙が生成と破滅を否応無く繰り返すのであれば弥勒が下生しても破滅は免れないという点で無駄だし、また自動的に再び宇宙の誕生から全てを繰り返すなら弥勒が下生する必要も無い。


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法滅尽経が書かれたのは5世紀末から6世紀初めの北魏においてだと言われる。約200年の差がある。そこで出てくるのが「本来の下生信仰が偽経の法滅尽経によって変質し造反に結びついた」という菊地章太氏の「弥勒信仰のアジア」である。


法滅尽の発想自体は大般涅槃教や雑阿含経にまで遡れる。5世紀初めに漢訳された
大般涅槃経では仏陀が死の直前に僧侶の堕落と教団の危機について心配し戒律を守る事が強調され、家畜を殺して売る、鳥や魚を取る、などの具体的な行為が禁止されたそうだ。http

5世紀中頃に訳された雑阿含経では
或る王が仏教を迫害し、僧を殺し塔を壊すが、塔の守護神が別の神と共に王とその軍を全滅させると語られる。http

しかし菊地氏によれば、これらと法滅尽経には大きな質的な差があると言う。
法滅尽経はそれまでは仏陀の教えが廃れる事を意味した末法の意味を拡大し、天変地異を伴う世界の終末の予言に変えたと主張するのだ。http    

それでは法滅尽経を読んでみよう。

ある時、世尊はクシナガラという所におられ、ちょうどお亡くなりになる前でありました。
たくさんの修行僧たちと書き尽くせないほどの大衆が世尊のもとにお集まりしていました。
世尊は静かにしておられ教えを説こうともせられず威光も現われずただ黙っておられました。

賢者の阿難は、世尊に礼拝してお尋ねになりました。
「世尊は、いつでも説法をお聞かせ下さり、いつもは威光が現われていらっしゃいます。
 こうして、大衆が集まりましたのに、今は光明も現われません。
 これには何か深い理由があると存じますが、どうぞ、その心をお聞かせ下さい」
 このように申し上げました。


世尊は、阿難に次のようにおっしゃいました。
「私が亡くなった後の事であるが、仏法が滅しようとする時、重罪を犯す者が多くなり、
 魔道が盛んになるであろう。

 魔類が僧侶の格好をして教団や仏教徒の中に入り込み、
 仏法を内から乱し破壊していくだろう。

 魔僧は、俗人の衣服を着て、袈裟も定められた以外の服を喜んで着るようになる。
 魔僧は酒を飲み、肉をむさぼり食らい、生き物を殺して美食を追求する。
 およそ慈悲心など全くなく、仏の弟子たる僧たち同士、お互いに憎んだり妬んだりする。
 そんな末法の世の中でも、まともな菩薩・聖者と呼ばれる人たち・
 尊敬に値する人たちが出現し、精進修行して徳を修めるであろう。

 世の中の人々は、皆、彼らを敬いあがめたてる。

 すべての人々を平等に教化し、貧しい人を哀れみ、老人を労い、
 頼るべき人がない者を救済し、災難に会った人を養うであろう。

 まともな菩薩らは、常に経・仏像をもって、人々に奉仕することの大切さを教え、
 仏さまを礼拝することを教える。

 菩薩は、多くの功徳を行い、その志と性質は仏法にかなっており、人に危害を加えない。
 自分の身を犠牲にしても人を救おうとし、忍耐強くて人にやさしい。

 もし、まじめに仏の教えを実践している人がいるとすれば、
 魔物の身代わりの僧たちが、皆、これを妬み、非難し、悪口を言う。

 そして、世間に彼の欠点をほじくり出して吹聴し、お寺から追い出す。
 菩薩の道を実践する僧たちが目の前からいなくなれば、
 魔の僧たちは寺を荒れ放題にしておくだろう。

 魔僧は、自分の財産や金銭をむさぼり貯える事ばかり努め、福徳など全然行わず、
 衆生を傷つけ、慈悲心など全くなく道徳などもない。

 彼らは淫乱な事をし、男女の区別なく悪業を働く。
 仏法が衰えていくのは、彼らの仕業である。
 徴兵や税金の取り立てから逃れる為に僧侶となることを求め、
 修行僧の格好をしていても実は修行なぞしていない。

 お経を習わず、例え読める人がいたとしても字句の意味も分からない。

 よく分かっていないのに有名になりたがり、他人から褒められようとし、
 智慧や徳もないのに容姿だけは堂々と歩いて見せ、人から供養される事ばかりを望む。

 こういう魔僧は、死後に無間地獄に落ちる。

 仏法が滅しようとする時、女人は精進して常に徳を積むが、男子は怠けて信心がない。
 仏法が滅ぶ時、天の神々はみな涙をこぼし、泣き悲しむ。
 作物という作物は実をつけなくなり、疫病が流行し、
 死んでいく者も多くなって人々は苦しむ。

 税金は重くなって、道理に合わない税のかけ方をする。
 悪人が海の砂の数より多くなり、善人は一人か二人になる。
 世界が最後になる寸前には、日月が短く、
 人の寿命も段々と短くなって四十歳で白髪になる。

 男子は淫乱にして、精も尽き若死にするようになり、長生きしても六十歳ぐらいであろう。
 女子の寿命は八・九十歳、あるいは百歳となる。

 時に、大水がにわかに起こり、富める者も卑しい者も水中に漂い魚の餌食となるであろう。
 菩薩や聖者たちは、魔僧たちに追い立てられ、福徳の地へ行く。
 菩薩や聖者たちは、しっかりと教えを守り、戒めを守り、それを楽しみとする。
 その人たちは寿命が延び、諸天が守って下さる。
 そして、世に月光菩薩が出て五十二年の間、仏法を興す。
 しかし、段々と滅っしていき、その文字を見ることも出来ないのだ。
 修行僧の袈裟の色も白に変じる。

 仏法が滅する時は、例えば油燈の灯が油のなくなる寸前、光が盛んになるのと同様である。
 これ以上は、説いて聞かせることが出来ない。
 その後、数千万年たってから、弥勒菩薩が下ってきて仏となる筈である」

賢者阿難は、世尊に礼拝して、
「このお経は何と名付けられますか」とお尋ねいたしました。
 世尊は、「阿難よ。この経の名は法滅尽経となす。誰にでも説いてよろしい。
 そうすれば、功徳は計り知れない」
とおっしゃいました。
 世尊の説法を聞いた人たちは、皆、悲しみ沈みました。
 だからこそ、今のうちに無上の道を修めようと発心した。
 そして、皆、世尊を礼拝して退座していった。

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こちらからお借りしました http

これは確かにヨハネの黙示録の様な世界の終末の予言となっている。

だが菊地氏が触れていないもう一つの資料に鈴木中正氏は注目している。3世紀後半から4世紀初めに訳されていたと言われる「阿育王(アショーカ王)伝」である。

そこでは仏陀が涅槃に入る時の予言が書かれている。曰く
千年後には仏法は滅びる。この世界の十善は破壊され、雨は降らず、大悪風が現れ、穀物は高騰し、霜害が起き、河川は枯れ、樹木は花実をつけない。三悪王が現れ、人民を虐殺し、仏教を迫害する。大地は震動し、大星が地に落ち、四方に火災が起こり、十方の諸天は空中に号泣する。 
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これはすでに法滅尽経と同様、天変地異を伴っており、ほぼその原型がここにあると言える。
この阿育王伝を考えにいれると清浄な境地を説く原初の弥勒下生信仰と、危機感、終末観に満ちた末法思想は初めから出会う事なく(あるいは出会っても互いの矛盾を意識せずに)併存し、或る時に何らかのきっかけでぶつかり、それが弥勒下生信仰を変質させたのだと考えられる。そのきっかけは何だったのだろうか?