古代ギリシアの抒情詩人サッポーはB.C.620年頃生まれたそうだからホメロスに遅れること1世紀、アイスキュロスに先んじること1世紀である。レスボス島の貴族の家庭に生まれ、一時は政治的な理由でシチリア島へ亡命したがその後再びレスボス島へ戻った。

父の死後は貴族の娘を集めて詩や音楽を教えたと言う。当時の詩は竪琴に合わせて歌うものだったそうだ。そしてその生徒の内の何人か(百人以上という説もある)と恋愛をしそれを詩に書いた。下の詩にあるアッティスもその一人だ。アッティスはサッポーが最も愛した3人の内の1人だそうだ。サッポーのおかげでレスボス島は女性同性愛の代名詞のようになった。


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(以下の話はほとんど伝説であり否定する評論家もいるが、虚偽であるという証拠もないので僕は伝説の方を信ずる事にする。)

残された詩の断片から推測すると、アッティスは一時サッポーの官能的な愛を受け入れたが次第にその激しさと嫉妬が重荷になり最後はサッポーを嫌って去っていったと思われる。

サッポーは富裕な商人と結婚しカレイスという娘もいたが、学園の少女たちと狂ったような恋をし、最後にはパオーンという船乗りの美青年との苦しい恋でレウカテスの崖から身を投げ自殺したと言われている。

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   「海に身を投げるサッフォー 」テオドール・シャセリオー作




サッポーの詩はプラトンに「10番目のムーサ」と言われるほど高く評価されたが、中世キリスト教の精神下では「淫売、色気狂い」と貶され、その悲劇的な最期は「同性愛に耽った罰」と考える者もいたようだ。



嘗てのものの幻想を私は追い求めた
静かに呻くために
そして私たちの愛を悔恨の
白い薔薇の下に葬るために


なぜなら私は覚えているから。
神聖な期待、影、昔の熱い夕べを・・・。
ため息と、燃えるような涙のあわいで
あなたを愛していた、アッティスよ!


月あかりに織られたあなたの髪と
掠めては避ける移り気な肢体と
朝日の輝きを厭う、夜のように青い目を
私は愛していた。


あなたの苦い唇の接吻を愛していた
素敵な毒を帯びたあなたの接吻を愛していた
それももう昔のこと! 不実な怒りも
裏切りも全て愛していた。


アッティスよ、今日あなたは蒼ざめ
帰還を望まぬ流謫の身として、私は去る
あなたの微笑は薄れ、私は、心も疲れ果てて
愛から遠ざかる。


あなたの大きな瞳は苦悩に満ち
我々の茫漠とした苦しみには無限が広がる!
ただ夢だけがこの世ならぬ光輝と
花々の緋色に虹色を射す


私の魂の、魂の内なる歔欷が
繊細な炎に燃える歌を伴い、百合の輝きに
包まれて昇って逝く。
私はあなたを愛していた、アッティスよ。


サッポーの詩、と言いたい所だが残念ながらそうではない。サッポーに決定的な影響を受け、サッポーを師と仰いだ19世紀フランスの詩人、ルネ・ヴィヴィアンの詩である。日本語訳は長澤法幸氏のこの資料から転載させて頂いた。

ルネ・ヴィヴィアンも同性愛者でナタリー・バーニーという女性との恋と破局を経験しており自分の体験をサッポーとアッティスに投影している。まるでサッポーの魂が乗り移ったかのようだ。

サッポーの情熱とヴィヴィアンの情熱がピアソラの激しさと反響し合う。