前回は社会学的な「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の理念型を生物学や地球科学にまで拡張するアイデアの飛躍を示した。

今回はそれをもう少し詳しく検証したい。そのために思考の方向を逆にして、「生命の弁証法」の出発点である「モナド原理と原子原理」からフラクタル、体節、などを経てゲマインシャフトとゲゼルシャフトまで繋げる事を試みよう。実はこれは前に一回、下の様に見通しをつけているのである。
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https://bashar8698.livedoor.blog/archives/27304751.html



しかし僕は「近代と反近代」を「ゲゼルシャフトとゲマインシャフト」 に重ねようとしながら、それに二つの視点がありその二つが統合されていない事を今後のテーマとした。すなわちマルクス〜ヴェーバー〜カッシーラーのものと、ゲーテ〜スペンサーのものである。



(1)マルクスの理念型では「個と個の直接的な関係」から「超越者を媒介とする関係」に変わる事が主眼である。

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これは物々交換から貨幣を媒介とする交換への転換もそうだし、カルヴァン派の無慈悲な超越神の出現で中世的な義理人情が壊れていく過程も同じ。また絶対王制における国王の圧倒的な権力によって中世的な貴族、教会、ギルドなどの中間権力が無力化していく過程も同じだ。

一つの個が超越者となる事により、他の個は標準化、水平化され、次の時代の市民革命を準備する。



(2)スペンサーの近代化モデルは個の間の分業と、支配の集中・中央集権化が主眼である。

スペンサーのモデルはダーウィンの進化論の拡張なだけに生物の発生、進化の記述との相性が良い。
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そこでは胚発生での細胞の分化と社会的分業が同一視され、「分化」と「管理の統合・中央集権化」がパラレルであり表裏一体である事が強調される。

この「分化と統合の表裏一体」がマルクスとスペンサーを繋ぐ蝶番である事に今気づいたというわけである。そしてもう一度生物学の記事を読み返してみるとそのアイデアは既にゲーテ形態学序論にあった。もう一度繰り返そう。

>生物が不完全であればあるほど、その部分は互いに同一に、または類似したものになり、また部分は全体に等しくなる。
>各部分相互が類似したものであればあるほど、部分間の従属関係は弱まってゆくのである。

僕はこれをフラクタルの知識を元に次の様に言い換えた。

(1) 分化(水平的分業)は従属関係(垂直的分業)を伴う事
(2) 部分と全体の類似(フラクタル性)
(3) そのフラクタルが分化の進行につれて消えていく事、つまり「個同士の異質化」と「個と全体の異質化」の並行関係

生物の分化(水平的分業)は統合、中央集権化(垂直的分業)とセットになっている。

ここでは「分散の原理としての分化」と「集中の原理としての統合」が均衡している。

 

これがマルクスとスペンサーを繋ぐものとなる。「管理の統合」「中央集権化」が「超越者を媒介とする関係」になる事は直感的に推測できるからだ。

ではなぜ水平的分業は垂直的分業を伴うのか?  その答えも生物の分化に既にある。すなわち、

分化した細胞はもはや単細胞では生きていけない。そこで細胞同士を統合する原理が必要となる。


統合を最も端的に示すのは散在神経から樹状の中枢神経への変化だが、同じ事が血液やリンパの循環、エネルギー生産や伝達の仕組みにも言える。

今日の気づきをまとめると

個と個の直接的関係から超越者を媒介とする関係へ
   ⬆️

分散原理としての「分化」が集中原理の「統合」と均衡している
   ⬇️

分化によるフラクタル性の減衰


今日は整理だけになったが、次回はもう少しフラクタルと階層構造、動物と植物、体節の意味などについての考察を深めたい。


(ふーっ 間に合った)

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