ジミー・スミスのスローブルースで「Oh No, Babe」 という鬼気迫る演奏があるのだが、ジミー・マクグリフでそれに匹敵するのはこれだろうか。

このアルバム全体としてはアップテンポの曲もあり、ゴスペルっぽい曲もありで盛りだくさんなのだが、僕はやはり黒くヘヴィーなスローブルースにシビれてしまう。

初めからオルガンを表に出さず、ブルージーでアーシーな、何となく Howlin' Wolf を思い起こさせるギターソロを長めに聴かせた後でおもむろにオルガンが登場し、サビの「ここぞ」というピンポイントで爆発させる。
感情の波と音の波の極大点を一致させる演出が憎い。

上のアルバムは1965年のリリース、彼の中では古い方だが、アルバムを通して聴くと彼の一貫したモチーフである「ジャズとソウルの結合」というアイデアがすでに現れている。

https://www.youtube.com/watch?v=tIhBIQmK5XE&list=PLEyxWPyoryRLKEdOcaVqi8BV0TQfOGJkN


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この前、RainDrop氏との会話で気づいたのだが、ヴォーカル入りのジャズブルースは意外なほど少ない。たまに見つければレイ・チャールズの様にスウィング・スタイルのビッグバンドのジャズだ。

ハードバップはソウルと接近したはずなのだが、そのハードバップとヴォーカルの結合はなかなか見つからない。
しかし、先日「まさにこれだ!」というものをようやく見つけた。

 

ジュニア・パーカーはエルビス・プレスリーも憧れたブルースシンガーだそうで、その「蜜のように甘い声」はオーティス・レディングやマーヴィン・ゲイを先取りしているかのようだ。


これは1971年リリースなので「Blues for Mr. Jimmy」から6年後なのだが、彼もモータウンやサザンソウルやファンクとの距離の取り方で悩み試行錯誤していたのだろう。

僕は最近のモータウン的なニューソウル復活の動きには不自然さ、ウソ臭さを感じてしまうのだが、このくらいの黒さを残したソウルならサザンソウルと共に「戻るべき原点」となり得るだろうと思う。
黒人音楽の原点はやはりゴスペル・ブルースしかない。